16/10/2024

2024.10.16(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
箴言15章17節
野菜を食べて愛し合うのは
肥えた牛を食べて憎み合うことにまさる。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書21章2~4節
イエスは、一人の生活の苦しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、誰よりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
 
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に触れ、最初に思ったのが「これらふたつの言葉に何の関連性があるのだろうか」ということでした。どちらの聖句もそれぞれ理解できるのです。しかし、ローズンゲンを編集したヘルンフート兄弟団の意図がどこにあるのか。どうしてくじで選ばれた旧約聖書の言葉から、この新約聖書が兄弟団によって選ばれたのだろうか。そんなことを考えていました。
 
今日の旧約聖書の言葉は箴言の一節です。脂身の入った牛肉を焼いたら、それはおいしそうなステーキができるだろうと想像するのです。肉を食べるというのは元気が出るし、何となく力が湧いてくるようなイメージがあります。実際に肉食は「薬食い」と言われていたようですし、エネルギーがみなぎってくるのでしょう。
 
しかし、どんなに強くなったとしても、その強さを誇示した結果、互いが争うような結果となってしまうくらいだったら、そんなに力にならないかもしれない野菜を食べて平和に暮らした方がまだ良いのだ。そんな賢人のことわざの意図が読み取れます。実際に「強さ」とはいったい何かを考えさせられる言葉であると私は受け止めました。強さは相手と比較し、優劣を定めるためにあるのではない。強さを誇示し合うことで人と人との関係が壊れてしまうことは、やはり神が望まれていることではないのだと、この箴言の言葉から想わされるのです。
 
そのことを踏まえて、今日の新約聖書の言葉に触れると、ああ、なるほど。と思わされるのです。大変有名な「やもめの献金」のエピソードです。裕福な財産のなかから有り余った分を神にささげる献金と、貧しいなかでほんの少額の献金だったとしても、心が神に十分に向けられた献金。どちらのほうが献金としてふさわしい姿勢なのか。そんなことを問うイエスの言葉がここにあります。
 
大切なのは額の多少ではなく、いかに自分自身の心が神に向けられていて、かつ誠実に心のこもった思いがささげられるかというところに、この物語の伝えようとしている肝があります。神は私たちの心をご覧になる方ですから、私たちが見た目で賞賛されるようなことをいいくらしても、力強い姿がアピールされても、やはり重要なのは心に他ならないのだと。肉を食べて争うくらいならば、野菜を食べて平和でいた方がいいという箴言のメッセージはここにつながるのだと納得することができたのです。
 
強さばかりを誇示する世の中で、たとえ弱く見られたとしても心が健全であること。その弱さに開き直ることなく、神が願っておられるその本質というものを大切に受け止めながら、今日という一日を生きることができますように。皆さんの一日を神が守り、平和を与えてくださいますように。お祈りします。

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