くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
ネヘミヤ記2章20節
天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。その僕である私たちが立ち上がって再建する。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
テサロニケの信徒への手紙二2章16〜17節
私たちの主イエス・キリストご自身と、私たちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださった、私たちの父なる神とが、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い行いをし、善い言葉を語る者としてくださいますように。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。三連休はいかがお過ごしでしたでしょうか。いつもと変わらない日々を過ごされた方もおられるでしょうし、休日を満喫された方もおられるかもしれません。いずれにせよ、今日という日をまた迎えることができたことを想いつつ、今日のローズンゲンに示された神の御言葉に聴きたいと思います。
今日の旧約聖書であるネヘミヤ記に記されている一節に「成功」という言葉が登場します。神が私たちを「成功」させ、再建させてくださるというのです。ここで言う「再建」とは、神の民が長年にわたる捕虜生活から解放されて、祖国イスラエルへ戻った後に、その中心となるエルサレム神殿が再建されることを意味しています。神を礼拝する場所の回復が、今や神を神とする民たちによってなされていくのですが、その背後に、いや、その中心に立たれる方がおられる。それが神なのだということを、ネヘミヤは民たちに語っている場面です。
成功という言葉を聞く時に、そこには物事が良いものに進んでいくようなイメージというものを私たちは抱くでしょう。それは間違いないと思います。しかし、私は思うのですが、成功するというのは「いわゆる失敗のない世界」のことを言っているのではないのではないか。そのように思えてならないのです。
ある人は言います。物事がうまくいかないならば、それは「失敗」であり、成功へと導く神を信仰していない結果なのだと。今日のネヘミヤ記の言葉も、読み方によってはそのように読めなくもない一節かもしれません。しかし、成功という言葉、もしくは失敗という言葉はそういうことを言うために用いられるものなのでしょうか。誤解を恐れず申し上げるならば、私はそうだとは思いません。
ネヘミヤがこの言葉を語った時代、人々は自分たちが失敗したことを実感していただろうと思うのです。神をないがしろにして生きていた自分たちを悔い、そんななかでも神が救いの手を差し伸べてくださったからこそ、こうして祖国に戻ることができた。そのことを通して、自分たちの失敗をも、人生の道を歩むための大切な要素としてくださる。それが私たちの神なのだと。つまり、成功のためには失敗は欠かせない大切なものなのだと私は思えてならないのです。
失敗のない世界は、私たちの世界には存在しません。しかし、神は失敗を用いて、私たちに再建の道を与えてくださる方なのだと。そして、神とともに歩む幸いというものを、今日も私たちに希望として与えてくださるのだと。過ぎた一日を置いて、また新たな一日に再建の道を指し示してくださる神に感謝し、今日という日を歩んできたい。そのように願います。
どうか、失敗こそ成功への第一歩であることを心に刻みつつ、神の守りと平安によって生きることが出来ますように。お祈りします。
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