13/10/2024

2024.10.13(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
創世記50章20節
あなたがたは私に悪を企てましたが、神はそれを善に変えられたのです。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書6章28節
あなたがたを呪う者を祝福し、侮辱する者のために祈りなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
 
仕返ししたくなる感情というものが、時折思いをかすめることがあるというのは、私だけかもしれませんし、共感を覚えてくださる方もおられるかもしれません。自分のちっぽけなプライドが傷つけられた時はまだしても、侵しては決してならない尊厳が妨げられ、傷つけられた時に、自分自身の悲しみや怒りというもののやり場を、どこにぶつけて良いか分からないことがあります。
 
そして、人は仕返しされることを過剰に恐れることがあります。エジプトの宰相にまでなったヨセフをかつて嫉妬し、生意気だと言って殺そうとまでした兄弟たちは恐れていました。自分たちがしたことを、今や弟のヨセフに報復される、仕返しされるのではないかという恐れの感情です。それだけ、仕返ししたくなる感情、仕返しされることへの恐れというものは、人間関係にゆがみを与えるものなのだと思えてなりません。
 
そのような感情が自分自身のなかで抗しがたいものとなるなかで、それを解消することができるのは、神に他ならないのだ。ヨセフにどのような報復を受けるか分からないとおびえていた兄弟たちに、ヨセフが語った言葉。これが今日のローズンゲンに示された「神は悪を善に変えた」というひと言だったのです。ヨセフが自分の兄弟たちの悪事を最終的に許すわけですが、ヨセフは分かっていたのです。ゆるすのは究極的には私ではない。神が赦されるからこそ、神の赦しに私も同意するのだと。こうして神は、善というものを私たちに与え、ゆるし許される関係性というものを、私たちのあいだに芽生えさせてくださるのだと。
 
なぜイエスは、自分を呪い、侮辱する者のために祈りなさいと言われたのか。ここにこそ、私がこの事態をなんとかしようとあくせく働くのではなく、まず神がこの関係性の真ん中に立たれるを大切にしたいからこそ、まず神に祈りなさいと告げられたのだと私は受け止めたいと思います。無理やり人間同士が手打ちをするのではなく、一方が険悪なムードに耐えられなくて頭を下げとけばよいかと落ち着かせるのでもなく、神がこの状態に善を与えてくださるのだということを信じて、新しい週の初日を迎えたいと思います。
 
皆さんの新しい一週間の日々に、今日の歩みに、神が豊かに臨んでくださいますように。お祈りします。

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