09/09/2024

2024.9.9(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編40編5節
幸いな者
主を頼みとする人

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書1章41節
彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「私たちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
 
昨日、私の働く仙台宮城野教会は夕礼拝がお休みでした。なぜならば、この日は「エマオ」で夕礼拝が行われるからです。この礼拝には、毎回約20名ほどの方が集います。自分たちの教会を超えて、一つどころに集まった人たちとともに礼拝する喜びを持つことも大切と思い、エマオで夕礼拝が行われるときは、私たちの教会の夕礼拝はお休みして、そちらに合流することにしています。
 
礼拝のメッセージを担当したのは、市内にあるプレイズコミュニティチャーチ(PCC)の阿見高洋牧師でした。前々からお会いしたいと思っていましたので、その念願かなってお会いすることができました。阿見牧師を通して取り次がれた御言葉はヘブライ人への手紙11章。私たちの「故郷」について、とても分かりやすく、心が躍らされるそんなメッセージでした。聖霊の力強い臨在を感じるそんな礼拝でした。
 
今日のローズンゲンに示された聖書の言葉は「出会う喜び」によって幸いな者とさせられることがテーマであると私は受け止めました。イエスが宣教を開始された頃、イエスに出会ったシモン・ペトロとその兄弟アンデレが、イエスとの出会いを心から喜んでいる。ようやく、私たちの王となられる方と出会ったのだ。そんな息づかいが伝わってくるようなアンデレの言葉を思い浮かべるのです。
 
メシア(油注がれた者)とは、王に対する尊称です。王の即位にはその頭上から油が注がれました。私たちが慕うことのできる故郷。その故郷を治めてくれる王がやって来られた。私たちは安心して、その故郷に心を寄せ、出会った王に心から信頼することができるのだと。それは、今日の詩編の言葉にもあるように、私たちが「幸いな人」となることができるように、私たちを見守り、出会わせてくださる神である主がおられるのだというのです。
 
私たちは、日々世の中の雑踏にまみれながらその日を精一杯生きているのではないでしょうか。ときに、そのような環境のなかで生きづらさを感じ、疲れ果ててしまうこともあるでしょう。しかし、そんな私たちを痛みをもって憐れんでくださり、故郷へと招き入れてくださる神がおられる。そのことを心の糧として、今日という一日を歩んでいきたいと願わされました。今週も忙しい日々が待ち受けていますが、どんなときにも望郷の想いを通して祝福を与えてくださる神がさまざまな喜びに出会わせてくださいますように。皆さんのために、そして私自身のためにもお祈りしたいと思います。

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