04/09/2024

2024.9.4(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
列王記上19章5,8節
御使いが彼に触れて言った。「起きて食べなさい。」エリヤは起きて食べ、そして飲んだ。その食べ物で力をつけた彼は、四十日四十夜歩き続け、神の山に着いた。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書6章31節
だから、あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
 
現実から逃げても逃げても、行くべく道が定まらず、もはや疲れ果ててしまった。今日は、そんな経験をした預言者エリヤの経験が込められた聖書の言葉から、ローズンゲンとして選ばれています。
 
私たちはより良い道を探ろうとして、あらゆる選択肢のなかからベストの道を選び取ろうとします。しかし、不安や恐れに取り囲まれた心がその道を歩もうとする思いを阻もうとします。つまり、私たちの感情が進路の邪魔をするというのです。そして、逃げることにすら疲れ果ててしまうというのです。
 
預言者エリヤはこの時、時の権力者であるアハブ王とその妻イゼベルによって命狙われていました。そのような緊張状態のなかで、エリヤはもはやは先のことを冷静に考える判断を失っていました。自暴自棄になってしまっていたのです。
 
もちろん、エリヤ本人はまさか自分が自暴自棄になっているという意識は無かったことでしょう。そのような時、人間はなかなか冷静にはなれないものです。感情があらゆる思考に勝ってしまうからです。そして、そのことに人間は気付けない。だから現実から逃げ続けて、しまいの果てに疲れ果ててしまうのだと私は思うのです。
 
しかし、そんな人間に、エリヤに、神は落ち着きと活力を与えました。空腹を満たし、ともに行くべき道を歩んでくださる神がおられることをエリヤに気づかせました。命狙われるという状況はなんら変わらない。不安や恐れというものが払拭されないかもしれない。しかし、それでも神は私たちが生きるための方を与え続け、ともに歩んでくださるからこそ、私たちははるか将来のために、その道を歩むことを選び取ることができるのだと。神がおられるのだから。
 
現実のことで悩み過ぎるなと、イエスは自分の話を聞きに来た群衆を前に語られました。悩みすぎると、私たちは孤独になるのです。自分自身の殻に閉じこもってしまうからです。殻に閉じこもった時に、それを破らない限り、次の一手はあり得ないのです。たとえ自力で殻を破ることができなくて、それを神が破ってくださったとしても、感情が許さないのです。暗闇のなかで悶々としている孤独な自分自身のほうが居心地良いと。破ってくれるなと拒む人間の頑固さが、私たちのうちにあるのかもしれません。
 
だからこそ、冷静と活力を与えてくださる神に、自分の全てを任せて歩もうじゃないか。どんなことが私を襲っても、私を支えてご自分の言葉と聖霊の力で栄養をつけてくださる神がすぐそばにいるじゃないか。私は決して孤独ではない。孤独である必要なんかこれっぽっちも無いんだ!
 
今日の一日もそのような神の守りのなかにあることが、私たちの希望でありますように。お祈りします。

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