くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編98編2節
主は救いを知らせ
正義を国々の目の前に現された。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書5章6節
義に飢え渇く人々は、幸いである
その人たちは満たされる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、こんにちは!
三連休の最終日、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
私も午前中はゆっくりと休むことができました。早朝に黙想をお届けすることはできませんでしたが、その分、頭も体も心もシャキッとしてまいりました。感謝なことです。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するのは「正義」です。これらの言葉からも明らかなのは、正義の源は私たちの神であり、神の正義が人間の心身に行き渡るときに、私たちは神の正義を身に帯びつつ、神とともに生きることが可能とさせられるというのです。ですから、聖書が語る正義というのは、神の存在無しにはあり得ないと言っても、決して言い過ぎではないのです。大切なことは、神の正義というものを私たち人間が自分の解釈で変容させないことだと私は思っています。
正義を盾にして繰り広げられる国と国との争い、また、私たち人間関係においても、互いの正義がぶつかり合うときに起きる亀裂や分断。これらは私たち人間がつくりあげている「正義のようなもの」に他ならないのだと思います。だからこそ、私の正義は本当に正義なのだろうかということを、つねに問い続けるというのは、本当に大切な営みなのだと思わされます。
今日の新約聖書の言葉は、イエスによる「山上の説教」の一節です。義に植え渇く者とはなんでしょうか。それを善悪であるとか正邪という観点で読むと言うよりは、正義の源である神の存在に自分自身が植え渇くという時に起きる幸いについて述べているのだと、私は感じるのです。神が私たちにご自分の姿を現わされるときに、それはすなわち、正義をともなって私たちに接してくださる神が、私の生きざまに幸いを与えてくださるということなのだと。そうして、神が与えてくださる聖霊に満たされながら、私たちは幸いな者とさせられる。そんな一日を今日も、そして明日も歩んでまいりたいのです。
どうぞ、休日の一日が神の正義によって豊かにされ、満たされますように。お祈りします。
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