くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
ミカ書5章4節
この方こそ平和である。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ペトロの手紙一3章9節
悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
新しい一週間が始まりました。私の住む仙台は、昨日から気温がぐんと下がり、雨の降る寒い朝を迎えました。気温は朝7時の時点で16.2℃だそうです。つい最近まで30℃を超えるような天気でしたから、なんとなく体調を崩してしまいそうですが、今日も与えられた命に感謝しつつ、一日を過ごしたいと思わされました。世界中で行われる主の日の礼拝や集会が祝福されますように。お祈りします。
さて、今日の聖書の言葉、特に旧約聖書として選ばれたのは、ミカ書5章の言葉です。イスラエルの王としてお生まれになられることについて記された預言であり、私たちはこの預言を、やがて訪れ、私たちのもとに来られた救い主イエスについての預言の言葉として受け入れてまいりました。
そのメシアとされる救い主は「この方こそ平和である」と、預言者は神からのメッセージを預かりました。つまり、救い主こそ平和を体現された御方であるということを読者に知らせ、実際にイエス・キリストは「平和とは何か」について、ご自分の弟子たちにご自分の身をもって示されたことが新約聖書にしるされているわけです。
そのことが、今日の新約聖書の言葉として選ばれている、ペトロの手紙の一節にも記されているわけです。悪に悪、侮辱に侮辱をもって返答しない生き方。神が私たち人間をことあるごとに祝福してくださるように、侮辱を返しそうになる相手にですら、神の祝福をただひたすら祈り続けることの大切さというものを、私たちはこの言葉から聴くことができるのです。
ただ、その時に必要なのは、祝福の源、祝福の基礎はどこにあるのかという基本的な問いです。ここに、私たちの生き方のすべてが、救い主イエスを基礎にして、基盤にして生きているかどうかということが問われているのだと、私は思えてなりません。イエスが私たちに伝え続けている「価値観」を、私たちは生きるための自分自身の価値観とすることができるのですし、ここにこそ今日という一日を平和に過ごすための、無くてはならないものとしてしっかりとキャッチすることができるのだと。
私たちはイエスの価値観によって生きようとしても、どうしても自我が勝ってしまいます。その自我こそ、平和に逆行して歩んでしまう原因だったりします。常に私たちの心に、平和の基礎というものを、キリストの力によっていただき続けることができますように。今日一日が、主なる神にあってキリストの平和が豊かにもたらされますように!
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