14/09/2024

2024.9.14(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編94編19節
思い煩いが私の内を占めるときも
あなたの慰めが私の魂に喜びを与える。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書22章42~43節
「父よ、御心なら、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください。」すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
今日は朝から、なかなか日課に取り組むことができませんでした。昨日午前に治療した歯が夜から痛み出して、鎮痛剤を飲みながらやり過ごしていたのですが、朝になって再び痛み出して、その痛みゆえに机に向かうこともままならなくなってしまいました。再び鎮痛剤を服用し、歯科医院に電話をしてこの後に診てもらうことになりましたので、いささかホッとしているのです。それにしても痛みをともなう状況というのは決して楽なものではないと、あらためて実感させられているところでした。
 
そんなときに、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖書の言葉に触れて、これは今の自分のために語られている御言葉なのではないかと思わされたのでした。痛み苦しみにあるときにこそ、神の慰めが私に及ぶのだ。いにしえの詩人はそのように歌っていて、その言葉にただ素直に聴きたいと願う今の私があるのです。
 
しかし、大体痛いときは、その痛みゆえに身も心もいっぱいいっぱいになってしまって、神にそのような願いや思いを持つことすらできないくらいに重く、また辛くなってしまうということも往々にしてあるわけで、痛みにもだえ、ネガティブなことしか考えられなくなってしまう。これもまた事実だなと思ったりもするのです。
 
だから、そういうときだからこそ、私のなかで「その痛みをすべてわかってくださる神がおられる」ということが、どれだけの慰めとなるかということを大切にしたいのです。神に痛みを取り除いてくださいと願ったところで、そう簡単に痛みがなくなるわけでもないでしょう。痛みを取り除くことができるのは、鎮痛剤のおかげであると割り切ることもできるでしょう。しかし、そのことを分かってくださる方が確かに私のそばにおられるのだという思いで、少しでも楽になるのであれば、私はそのことを大切にしたいと心から思うのです。
 
今日の状況からして、そのような思いを聖書の言葉からいただけたことに感謝しつつ、今日の一日を過ごしてまいりたいと思います。どうぞ週の最終日であるこの時が、皆さんにとっても神からの慰めゆえに、力づけられるような一日でありますように。お祈りします。

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