くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編63編7節
私が床であなたを思い起こし
夜回りのとき、あなたに思いをはせます。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
テサロニケの信徒への手紙一5章10節
主は、私たちのために死んでくださいました。それは、私たちが目覚めていても眠っていても、主と共に生きるためです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
******
皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖書のうち、旧約聖書・詩編63編の一節が心に留まりました。この詩の表題は、ダビデ王がユダの荒野にいたときの詩とされています。
荒野という言葉に、私は注目しました。緑もなく、わき出る水もない。その荒漠とした様子に、おそらくダビデは自分自身の状況を重ね合わせたのではないかと私は思っています。ダビデは命狙われていた存在でした。だから、そのことも含めて、神に自分の思いを願っています。落ち着くひまもないままに、ダビデはその時を過ごしていたのだろうと思うのです。
私事ですが、昨日は多くの方々が教会を訪ねてくださり、また、電話もいつもより多い一日でした。それだけ教会という場がいろいろな方に用いていただけるのは、本当に嬉しい限りなのですが、それだけ関わった方々のストーリーというものがひとつ所を通して交差していくのに私も触れて、とても刺激を受ける時でもありました。
そのことを、夜床についてひとつひとつ思い起こしていました。そうしていたら、ここ数日間に起きたことも、私の脳裏に浮かんではそれが脳内で、心のなかで駆け巡り続けていくのを感じたのです。良いことだけではありません。不安や恐れも思いを駆け巡りました。そんなこともあって、私はいつしか、神に対して「明日の一日も、生きる命をお与えくださり、朝を迎える者とさせてください」といった内容の祈りを向けていました。何とも言えない恐れの感情に取り囲まれていたのです。このまま死んでしまうのではないか。そんな思いにさせられたのです。このような思いはめったに起きるものではないので、とても不思議な感じがしたのです。
こうして神と対話するように時を過ごしているうちに、眠りに就き、朝目が覚めました。いつもと変わらない朝がやって来た。そしてこうして今生きている。眠い目をこすりながら、そのことを思った時に、ああ、今日も神様が生きるということを私に与えてくださり、生きることの意味というものを、私に課題として与えてくださったのだ。そう思ったら、感謝の思いにあふれたのです。
神は眠りを通しても目覚めを通しても、私たちに生きる命の幸いというものを常に教えてくださっているのだ。後にキリストの宣教者であったパウロは、そんな言葉を手紙に書き残しています。私たちを生かすために、ひとりの尊い命が死へと向かっていた。死という恐れが私たちを取り囲もうとも、それでもなお私たちを生かそうと働いてくださるキリストがおられた。そして今もともにおられる。今日も私たちひとりひとりに与えられたいのちを尊びつつ、生きることの意味と幸いというものを味わってまいりたいと思います。
今日は広島に原爆が投下されたことを憶える一日です。いのちの尊さというものを私たちに示してくださる神の助けが、皆様とともにありますように。お祈りします。
0 件のコメント:
コメントを投稿