31/08/2024

2024.8.31(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
マラキ書3章17節
彼らは私の宝となる。
人が自分に仕える子を憐れむように
私は彼らを憐れむ。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書5章9節
平和を造る人々は、幸いである
その人たちは神の子と呼ばれる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
 
平和をつくる基礎とは何か。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が感じたことです。そして、仙台宮城野教会の礼拝でちょうどひと月前にしたメッセージのことを思い出していました。「愛無しに平和など」というタイトルでした(もしご覧になりたい方は、こちらからご視聴ください)。
 
平和を愛さない者など、この世にはいないと私は思います。しかし、平和のとらえ方が異なるために、互いの平和と平和、正義と正義に食い違いが生じ、攻撃が始まり、衝突が起こる。それは平和を勝ち取るための闘いというものとは違い、誰かの大切なものを犠牲にして、踏み台にして、自分だけが得をするような平和のあり方を模索し、実行してしまう。これが人間の求め続けてきた平和のあり方なのかもしれません。
 
そのような人間社会に、イエスの言葉が鳴り響きます。平和をつくる人々は幸いであると。ここでイエスが言われた「平和」とは、いったいどのような平和のことを指すのだろうか。どうやって私たち人間が平和をつくることができるのだろうかと。イエスは続けて語られました。「その人たちは神の子と呼ばれる」。イエスは私たちに向かって、神の子どもであるからこそ、平和をつくりあげることが可能となるということを知らせようとした。マタイによる福音書5章9節におけるイエスの言葉には、そのような意味が込められているのだと私は思うのです。
 
親が子どもに対する憐れみと慈しみ。この慈しみがご自分の子どもとみなしてくださる神の私たちに対する態度でした。そのことを、今日の旧約聖書のことばであるマラキ書の一節は「宝」という言葉を使って表現しています。宝としたいくらいに、慈しみを私たちに示し、表し、実現してくださる神の態度こそ、私たちがつくりあげることのできる「平和のモデル」なのだと、私は今日の聖書の言葉から受け止め、受け入れたいと思いました。
 
つまり、神の慈愛なしには平和など実現しないのだと。今日も私たちの心身に平和を実現するための慈愛を注ぎ込んでくださる。そのことを生きる希望として一日を過ごしていきたいと思わされました。そのような一日が、皆さんにとっての幸いとなりますように。お祈りします。

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