02/08/2024

2024.8.2(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編60編4節
あなたは地を震わせ、引き裂かれました。
どうかその裂け目を癒やしてください
地が揺らいでいるのです。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マルコによる福音書4章38~39節
弟子たちはイエスを起こして、「先生、私たちが溺れ死んでも、かまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
地が揺らぎ、舟が揺れる。今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、この地、そして舟とはいったい何か。そんなことを黙想させられました。
 
地にしても、舟にしても、私たちを支える大切な存在です。ですから、今日の旧約聖書・詩編の言葉にもあるように、地割れして裂け目ができてしまうような状況になることは是非とも避けてもらいたいし、舟が沈まんばかりになってしまうことがあっては湖に放り出されてしまうので、何とかしてこの嵐が静まって欲しいと心から願うわけです。
 
私は、これらの出来事を通して想わされたのは、人間がいかにこれらの動揺に耐えられない存在であるかということでした。ちょっとした振動に対して、私たちは揺れるのです。その揺れに耐えられなくて、何とかしなければならないと焦り、パニックに陥りながら、普段だったら絶対にしないような言動に走ってしまうのだと。
 
普段から強気で生きている方がおられます。腕っぷしの良い方ですから、どんなものが向かってきても恐くなんかないんだと豪語しています。しかし、その方に非日常が起きました。その人はパニックに陥ってしまいます。そして、いつもならば絶対にしない行動をしてしまいます。その行動のために、今度は他の人を驚かせて、パニックに陥らせてしまいます。パニックがパニックを生む、まさに負のスパイラル(らせん階段)が起きてしまったのです。
 
この負のスパイラルのもとにあったのは「不安」でした。自分の立っているところが揺らぐと、何を頼りにして立てば良いのだろうかと平常心を保てなくなってしまいます。人は誰でも自分の立っているところに安定を求めます。私の感情、私の思考、信条や信念、経験、好み、慣れなどなど、私たちは自分が安心できる場というものをいつも探し求めるのだと思います。
 
だから、それが少しでも揺らぐと、本当に大丈夫なのだろうかと心が騒ぎ、地が裂けてしまうことへの、舟が沈んでしまうことへの恐れを、ネガティヴにとらえてしまうのです。非日常の出来事を、さも絶対に起きてしまうかのように想定してしまうのです。こうして起こり来ることに対して、自分自身を守ろうと必死に防御してしまう。その時に悲しみや怒りの感情というものが、私を取り囲んでしまう。これが人間の偽らざる現実と真実なのではないかと思えてなりません。
 
しかし、そんな時こそ、その裂け目を癒しへと導き、荒れ狂う波を鎮めることのできる神に助けを求めることできるのではないでしょうか。助けてくださいと叫ぶことができるのです。自力でこんなこと解決できない。そもそも自分で自分を抑えることができない。だからこそ、絶対的に依存できる神を頼ることが大いに許されているのです。
 
神は私たちを必ず平安に導いてくださる。平安のあるところには必ず平和の花が咲くのです。私たちは自分が抱える不安の中で、人間関係における亀裂や嵐のなかで、神を求めることの幸いを見い出していきたいのです。
 
今日もすべての出来事に、神を頼ることの幸いを見つけることができますように。皆さんの一日に神からの平安が豊かにありますように。お祈りします。

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