17/08/2024

2024.8.17(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
サムエル記下7章21節
あなたは御言葉のために、御心のままに、この大いなる業をすべて行い、僕に知らせてくださいました。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ガラテヤの信徒への手紙3章29節
あなたがたがキリストのものであるなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
今週も最終日を迎えました。この一週間、皆さんはどのようにお過ごしでしたでしょうか。私は目まぐるしく、しかし充実した一週間を過ごすことができました。木曜日から明日まで休暇の時を送っていますが、心身ともにリフレッシュできる機会でありたいと思っています。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句ですが、テーマをつけるならば「神の約束は必ず果たされる」といった内容かと思いました。どんなに神の約束が果たされないように見えたとしても、神は必ずご自分の約束を、ご自分のために、また私たちのすべてのために実現してくださるのだと、聖書の言葉を通して明らかにしてくださいます。
 
そのために、神の民は祈りました。それを果たすのは私ではなく、何をかくそう神御自身なのだ。なので、神に祈りの言葉をささげ続けるのです。要求ばかりの祈りは良くないとしばしばいわれることがありますが、それでも神に要求することは、やはり必要なのだと私は思います。要求をすることは、その通りに叶ってほしいという願いからであることに間違いないのですが、しかしそれ以上に、神との豊かな対話の場でもあるのだと私は思います。
 
要求することによって、その要求に神がどのように答えてくださるのかを、私たちは見ることができるからです。神は私の願いとはまったく違うところにその御心を果たされるかもしれません。しかし、そのことを通して、私たちは神の真意というものを知ることができるのであれば、神と私たちとの信頼関係はより深まることになるに違いないのです。
 
イスラエルの王ダビデはこう祈ったのでした。あなたの言葉は、その御心通りに果たされ、私たちに知らせてくださったのだと。王として、戦士として、ダビデは自分自身の能力だけに依存して生きたわけでは決してありませんでした。私に対する依存ではなく、神に対する徹底的な依存(帰依)によって、彼は生きることができたのでした。これこそ、私たちもまた神に要求はするけれど、最終的には神のなさることに委ねて歩む姿なのではないかと思えてならないのです。
 
そして、現代に生きる私たちもまた、キリストのものとされている。イスラエルの民がそうであったように、神の御心に徹底的に依存する者であることの幸いについて、今日の新約聖書であるガラテヤ書の一節でうたわれています。私たちも神の相続人なのだと言うのです。
 
私たちひとりひとりがそのような存在として、今日の一日もまた生きることができますように。神の助けが豊かにあることを願いつつ、主の守りと祝福をお祈りします。

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