くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編96編1節
新しい歌を主に歌え。
全地よ、主に向かって歌え。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書19章38節
「主の名によって来られる王に
祝福があるように。
天には平和
いと高き所には栄光があるように。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
新しい朝を迎えました。一昨日の夜から私は、東京にある神学校での夏期公開講座で講義を担当するために上京しています。本当に酷暑というにふさわしい暑い夏の日々のなか「カルト宗教と教会」というテーマで、濃厚な時間を受講生の方々とともに、充実した時を過ごしています。今日までの働きを、心を込めて携わってまいりたいと思います。
さて、今日のローズンゲンに示された聖書の言葉に共通するテーマは「賛美」です。神に賛美の歌をささげることの幸いについて、それぞれに触れられています。私は、今日の新約聖書であるルカによる福音書の一節から、イエスの弟子たちがイエスとともに都エルサレムに入るころ、いよいよ賛美の歌が大きくなっていったことが知ることができます。イエスがメシアとして私たちの王となってくださったのだ。その嬉しさが賛美へとつながっていきました。
その歌声はもはや、誰も止めることができませんでした。その賛美に不快感を覚えた人々が、あんな歌をやめろと言っても、イエスは「止めれば石が叫ぶ」とまで言わせてしまいます。賛美はこうして、人々の心に喜びを与えるものとして、聖書にはその出来事を残しています。
さて、ここで私事を書きつづるのをお許しくださりたいのですが、昨日の夕方、神学校での1日目の講義を終えて、しまっていたスマホを見たら、一通のメッセージが入っていました。数分前に送信された一通のSMSには、今息を引き取ったということが記されていました。私が大学生のときから通っていた、居酒屋のママさんのことでした。ひと月半前に脳出血で倒れて以来、病院での日々を過ごしておられました。
そのママさんは、クリスチャンではありませんでしたが、私のことをいつも応援してくださり、ときにはママさんの相談相手となり、ママさんご家族も私の牧師就任式に駆けつけてくださったりと、何の遠慮もなく私の仕事のことを語ることができたお相手でした。そして、ママさんは「私が死んだときには、齋藤さん、お葬式あげてちょうだいね」と、ことあるごとに言われていました。あと何十年後の話になることやらと笑って話していましたが、まさかその日がこんなに早く来ることになるとはと、驚きと悲しみにただ包まれるばかりでした。
上京していたこともあったので、すぐに病院へ駆けつけることができました。葬儀の備えを始めるなかで、息子さんが「大勢の人たちに送り出されて欲しい」ということを話しておられました。おそらく御主人にとっても、息子さんたちにとっても、キリスト教の葬儀を経験するのは初めてのこと。しかし、私はこのママさんをこの世から送り出すにあたって、賛美歌を歌えることを、本当に励みに思うことができる。今日のローズンゲンの言葉をいただきながら、心を込めてお式に仕えることにしようと思ったのでした。
賛美の力。賛美こそ神が与えてくださる祝福。そんなことを想いつつ、今日の一日を過ごしてまいりたいと思います。皆さんの一日にも、神が豊かにともなってくださり、賛美する喜びもあふれますように。お祈りします。
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