11/08/2024

2024.8.11(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
エゼキエル書20章41~42節
私自らが聖なる者であることをあなたがたに示す。私があなたがたを、イスラエルの地、あなたがたの先祖に与えると誓った地に導き入れるとき、あなたがたは私が主であることを知るようになる。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヘブライ人への手紙11章8節
信仰によって、アブラハムは、自分が受け継ぐことになる土地に出て行くように召されたとき、これに従い、行く先を知らずに出て行きました。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
新しい一週間が始まりました。おそらくお盆休みの最中にあって、しばしの休暇を頼んでおられる方が多くおられるのではないかと思いますし、その休みゆえにお忙しくされておられる方もおられるかと思います。私は昨日、友人の葬儀に参列するために東京へ出かけましたが、東京駅はいつにない黒山の人だかりでした。どうか、皆さんにとって素敵な一週間になることを、心より願い、また祈ります。
 
さて、今日のローズンゲンに示された聖書の言葉も「旅」がテーマになっています。それも、人には行き先の分からない、しかし神だけが行き先を知っている旅です。旧約聖書の時代、イスラエルの祖となったアブラハムも、その後エジプトから脱出した後、40年かけて荒野をさまよったモーセ率いるイスラエルの民たちも、バビロニア帝国の囚われの身となり、祖国を捨てなければならなかったユダヤの民たちも皆、行き先のあても分からず、ただ自分の前に置かれた道を歩むしかありませんでした。
 
私たちもそうです。私たちは先行きの見えない将来に不安を覚えます。この後、どのような道を歩むのだろう、歩まされるのだろうかと。そういう時にかぎって、ネガティヴなことしか考えなくなってしまうということは、私たちの生活ではしばしばあるものです。「こうなるかもしれない」「こんな恐れがある」「前例がない」「時期尚早」などど、もっともらしい理由を立てては、私たちはしり込みしてしまうのです。
 
今日のローズンゲンに示された聖句はいずれも、最終的に私たちの不安を払拭してくださる神がおられるがゆえに、そのことに私たちが気づくように導かれるのだということを、私たちのそれぞれに想起させるものとなっています。私たちの不安を取り除くものがあるとすれば、それは私たちの強靭な精神力ではなく、私たちの根性でもなく、いつそうなるのかが私には分からないけれど、神は必ず私たちが安住できるところへの道を与え、必ずその道を歩ませてくださり、ゴールまで導いてくださるのだと。
 
私の好きな賛美に「明日を守られるイエス様」というものがあります。
 
明日はどんな日か わたしは知らない
晴れか嵐か 曇りになるか
わたしは明日を心配しない
イエスがわたしを守られるから
明日はわたしには わからないけど
明日を守られる イエスがおられる
 
日々のあゆみは 日々に明るく
かたのおもには 次第に軽い
輝く太陽 涙かわかし
仰ぐ空には虹の かけ橋
明日はわたしには わからないけど
明日を守られる イエスがおられる
 
明日はどんな日か わたしは知らない
どんな道すじが 先にあるかも
だけどわたしは心配しない
イエスがおられる わたしのそばに
明日はわたしには わからないけど
明日を守られる イエスがおられる
 
この歌詞にあるような希望を抱きながら、神が、イエスが指し示してくださる道を、今日も歩みたいと思います。皆さんの一日、そして一週間に、神がともなってくださいますように。お祈りします。                 

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