08/07/2024

2024.7.8(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
申命記11章7節
あなたがたの目は主の行われた大いなる業をことごとく見た。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ペトロの手紙二1章16節
私たちの主イエス・キリストの力と来臨をあなたがたに知らせるのに、巧みな作り話に従ったのではありません。この私たちが、あの方の威光の目撃者だからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句のなかで、私が特に目を留めたのが新約聖書・ペトロの手紙に書かれてある「巧みな作り話」という言葉でした。この世の中には、実に見事としか言いようのないほど巧妙につくられた話題というものがあることを常々思わされていますので、今から2000年前に人々に書かれ、のちに聖書の一部となった手紙に記されているのを見て、昔も今も根本的に人間のすることなど変わっていないのだなあということを思わされたのです。
 
巧みな作り話というものは、しばしば真実と違うことを語ることによって、それを聴く人たちを結果的にだますことを目的とする場合が多数であると私は思っています。いわゆるカルト宗教問題は、そういう人を宗教的なアプローチを悪用して、巧妙に祝福とか呪いとかいうものを人々の前にちらつかせることで、ゆがんだ支配構造のなかに組み入れてしまうという恐ろしさがあるのだと思います。私も宗教の世界に属している者として、本当に気を付けなければならないことを痛感させられます。
 
実際に、キリストの誕生から生涯、受難から復活、昇天から再臨という一連の流れを通してイエスが私たちの救い主となり、信仰の実体となってくださっていることについて、当時の世界は(それは今もそうなのですが)そのことを「巧みな作り話」として受け止めていた人もいたということが、今日の聖書の言葉から分かります。
 
しかし、信仰の実体というものは、数々の証明によって明らかにされるのです。イエスはそうやって、私たちの前に姿を現わし、私たちと同じ釜の飯を食って、私たちにその生きざまを見せることで、数々の証明をされました。それが誕生から昇天のときまで続いたのでした。ですから、イエスによって約束された「再臨の時」も、必ずイエスによってその証明がなされることを、私たちは実体の証明を知る者として、希望をもって待ち望んでいきたいと思わされたのでした。
 
私たちはイエスの「実体」を、人を見るように見ることはできないかもしれません。しかし、聖書の言葉を通して私たちは、イエスの実体をリアルにイメージすることはできますし、私たちがそのような印象をとらえることができるように働いてくださるのが、聖霊の助けに他ならないのだと私は信じます。それこそ巧みな作り話に思われるかもしれません。それでもいいのです。私が希望を持ってキリストがともにいてくださることが結果として、私の生きる礎となるのであれば。そして、それはすべての人にとっても、必ずそうなるに違いないという確信を抱きつつです。
 
今日から始まるウィークデイの日々が、皆さんにとっての豊かな希望の時となりますように。お祈りします。

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