07/07/2024

2024.7.7(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
エゼキエル書18章27節
悪しき者が自分の行った悪に背を向け、公正と正義を行うなら、彼は自分の命を救う。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書16章26節
たとえ人が全世界を手に入れても、自分の命を損なうなら、何の得があろうか。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

******
 
皆さん、おはようございます。
昨日(7月6日)のローズンゲンで、皆さんにお詫びを申し上げなければならないことがあります。実は、昨日のローズンゲンは7月13日(土)のローズンゲンに示された聖書の言葉でした。私が一ページ間違えて開いてしまったのです。本当に申し訳ありませんでした。ですので、来る7月13日に、7月6日のローズンゲンの黙想を掲載したいと思います。
 
さて、今朝は十分に黙想する時間が確保できませんでしたので、夕礼拝前のひと時を用いてローズンゲンの黙想をすることにしました。今日も礼拝、その後に役員会があり来客もありました。さまざまな方々が神によってつながれていて、それらの人々のあいだに交流があり、神を心から感じることができたのではないかと思います。私の仕える教会だけでなく、世界中の方々がそういう幸いにあずかることができるというのは、本当に素敵なことなのだなとあらためて感じさせられたのでした。
 
一週間の歩みを振り返れば、神が与えようとしている良いものに、何の価値も見いだせないのだと吹聴するように、さまざまな価値観が自分の心や身がさらされていたことを思います。そして、神が与えてくださる喜びをいただけるのにもかかわらず、それをあえて否定して歩もうとした私が、いろいろなことで思い悩み苦しむ。そんなことは無かっただろうかと。現実世界を直視すればするほど、そういう思いに引き込まれていく。これが偽らざる現実なのかもしれません。
 
しかし、そんな私たちに、神は公正と公義を与えると今日の旧約聖書の言葉には記されています。神こそ正しい御方であられるということへの深い信頼は、私たち一人ひとりの生き方を変える大きな助けであるというのです。私の努力で公正とか公義というものを到底生み出せるものではないのです。神がご自分が正しい御方であるという保証が、私たち一人ひとりを救いの道へと導いてくださるのだ。だから、たとえちっぽけでも、神の正しさが自分の心に染み入るときに、私たちはそれが慰めとなり、励みとなるのです。
 
私たちは自分たちの努力だけで、何でも得たような感覚になるかもしれません。ある程度の努力は確かに、私たちを豊かにさせることがあるからです。しかしどうでしょう。それは時に独り善がりな豊かさとなり、それが人の豊かさを搾取することだってあるわけです。だから、私たちの努力が100%の豊かさを生むという保証はどこにもありません。だからこそ、私たちは神の助けを、公正と公義をどうしても必要とするのです。神はそういう求めに必ず答え応じてくださるのだと。
 
私たちがこの神の呼びかけの言葉に心から応じつつ、神の助けによってこの新しい一週間を歩む者でありたいと心から願います。神がそのことを私たちに知らせてくださいますように。そして私たちも神の呼びかけに耳と心を傾けることができますように。心より祈ります。

0 件のコメント:

コメントを投稿