06/07/2024

2024.7.6(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書41章4節
誰がこれを行い、実行したのか。
それは初めから代々の人々に呼びかけた者。
主である私が初めであり
また終わりと共にある。それが私だ。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネの黙示録1章17~18節
恐れてはならない。私は最初の者であり最後の者、また、生きている者である。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して私が思ったのは、「神の歴史のなかで私たちは生かされているのだ」ということでした。旧約・新約のどちらの聖句にも「初めであり終わりである者」としての神が描かれています。つまり、究極的には私たちの神こそすべての歴史を通して働かれる方である。その歴史軸のなかで私たちは与えられた生命を営んでいるということなのだと。
 
昨日、お世話になったひとりの方が神様の御許に召されました。ここのところ体調が思わしくないことを耳にしていたのです。昨日の夕方もその方を知る者同士で祈りを合わせていたところでした。まだお若いのに。思い出せばその方のあふれる優しさに触れることができた記憶がよみがえってきます。人はいつかは必ずその生涯を終えることは分かっていても、本当に寂しいものです。
 
私は今日の御言葉を通して想わされたことがありました。私たちは限られた時のなかで生かされている存在として、いつかは必ず終わりを迎えんければならない。その終わりのことを考えると、さまざまな不安や恐れというものが我が身と心に押し寄せてくることもあるでしょう。しかし、それでも私たちは自分自身の終わりをすべてご存知であり、私たちが奈落の底に落ちてしまうことの無いように拾い上げ、掬いあげてくださる神がおられるのだと。神がものの初めも終わりも司っておられるとはそういうことなのだということを、改めて思わされました。
 
主という神の名前は、私たちとともにいてくださるという意味を私たちに知らせます。それが神の主題であり、歴史の主題であることを思いつつ、私たちもまたその神に顔を合わせて生きていきたいと心から願わされるのです。日々どんなことがあっても、私たちは神の時のなかでしっかりと生かされていることを胸に刻みつつ、週の最終日を過ごすことが出来ますように。ともに祈りつつ歩んでまいりたいと思います。

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