29/07/2024

2024.7.29(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
列王記上8章58節
私たちの心を主に向け、そのすべての道を歩み、先祖に命じられた戒めと掟と法を守るようにしてください。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙一12章3節
聖霊によらなければ、誰も「イエスは主である」と言うことはできません。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンを通して、私が思い浮かんだ言葉は「自力本眼か、それとも他力本願か」というものでした。
 
昨日の主日礼拝で、私は「愛を聴き取る」というタイトルでメッセージをしました。究極的に私たちが「神の愛」で愛するためには、神の愛に聴き、それを聴き取り、聖霊の助けと導きを通して愛を心身に浸みこませない限り、それを行うということはできないという内容のことを、聖書の言葉から取り次ぎました(詳しくお聞きになりたい方は、こちらをクリックすればYouTubeで視聴することができます)。
 
その後、ひとりの方から「結局私たちは他力本願でなければならないのか。愛の実践は自力によるものなのではないか」という質問を受けました。この方は極めて現実主義的な思いを持っておられる方で、聖書の言葉は自分自身の道徳を高めるための教科書のように考えておられます。私は「神に絶対的に頼り切ってこそ、自分自身が愛の実践の担い手になることができる」といった内容のことを返答しました。
 
私たちがどんなに歯を食いしばって愛を実践しようとしても、それでも齟齬というものが起こり、誤解やすれ違い、衝突が起きるのです。つまり、自力だけでは神の愛など実践できるはずがない。単なる「参考」程度に、神の言葉を用いて、それに倣うことなどできないのだと、私は誤解を恐れず申し上げたかったのですが、その真意を伝えることができたかどうか、そんなことを昨晩考え続けておりました。
 
心を主に向ける。今日の旧約聖書に登場したひと言です。神から与えられた戒め、そして掟や法を守るときに、私たちに必要なことは神の放たれ、注がれる思いに私たちがいかにキャッチすることができるか、ここに重要なポイントがある訳ですが、私たちが自分の心のチャンネルを合わせることができるためには、やはり神の助けを必要とする。それが、今日の新約聖書で言われている通り「誰も聖霊によらなければ」という言葉に尽きるのではないか。私はそのように思ったのです。
 
聖霊の助け。イエスはご自分の父とともにこの助けを私たちに惜しみなく与えてくださることを約束してくださいました。この聖霊に満たされることで、私たちは神の愛というものを理解することができるように導かれていくのだと。失敗しながらも、それをうまく受け取ることができなくても、繰り返し繰り返し来る日来る日にそれを受け取りたいと、私たちは自分自身の心を整えたいと心から願うときに、神は必ずそのようにしてくださることを信頼して、今日の一日を歩んでまいりたいと思うのです。
 
神の言葉は聖霊に乗せられながら私たちに向かって来る。それをキャッチすることが幸いとなる一日となりますように。お祈りします。

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