28/07/2024

2024.7.28(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編118編6節
主こそ味方、私は恐れない。
人間が私に何をなしえようか。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙8章35節
誰が、キリストの愛から私たちを引き離すことができましょう。苦難か、行き詰まりか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
新しい一週間がやって来ました。歩み切った先週7日間の日々が更新されるこの主の日。私たちはまた神の言葉と聖霊の助けによって生かされることを想いつつ、今日世界中で行われる礼拝や集会の一切に、神様の祝福が豊かにあふれることを心より祈ります。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私は旧約聖書・詩編の一節にある「主は私の味方」という言葉に注目したいと思いました。神である主は、私の味方となってくださる。なんと心強い言葉なのでしょうか。そう思うと同時に、この言葉がどういった心情のなかで語られたものなのかを、改めて考えさせられます。
 
この言葉は決して誤解してはならない。それは傍若無人な人間の欲求を、神が味方してくださるという意味ではないということです。私たちは自分の言動を正当化するために、主は味方であるという言葉をよろいかぶとのように使ってはいないだろうか。そのように思わされたのです。そのようなシチュエーションのなかで神は私の味方であると豪語し、恐れ知らずの自分自身をつくりあげてしまうのであれば、それは本末転倒なのではないか。そう思えてならないのです。
 
その点で、今日の新約聖書の言葉は、私たちにひとつの示唆を与えます。使徒パウロが書きつづった手紙のなかで、彼は自分自身に与えられたキリストを宣教するという務めが、決して順風満帆ではなかったことを記しています。神が指し示される本質に迫れば迫るほど、それを愚直に伝えれば伝えるほど、風当たりは強くなるのです。逆風が容赦なく彼に吹き付けるときに、パウロは明らかに困難を覚えました。
 
しかし、それら困難を超越してパウロに働いたのは、キリストが注がれるご自身の愛であり、この愛こそ彼を前面に守る武具となりえました。彼こそ、神の御心に立つべく生きようとしたときに生じるあらゆる攻撃に対して、神が味方となってくださることを心の底から実感できたのでした。誰がキリストの愛から私を引き離し得ようか。いや、誰も引き離すことができないのだ。なぜならば、神こそ私の味方なのだから。
 
ですから、神が私の味方となってくださるというのは、私を正当化するための理由には決してならないということです。神が正しい御方であるがゆえに、そのことを自分自身の生き方にしようとしたときに、神が味方になってくださるということを実感できる。そのことを胸にして、今日から始まる新しい一週間も歩み出すことができるのだ。そんなことを私も胸にして日々を営んでいきたいと思わされました。
 
どうか、皆さんの新しい七日の旅路にも、神である主が豊かに伴ってくださいますように。そのためにも、私たちひとりひとりの生き方が、御言葉と聖霊によって整われますように。お祈りします。

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