22/07/2024

2024.7.22(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
エレミヤ書1章19節
彼らはあなたに戦いを挑むが
あなたに勝つことはできない。
私があなたと共にいて、救い出すからだ。
――主の仰せ。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書17章9節
彼らのためにお願いします。世のためではなく、私に与えてくださった人々のためにお願いします。彼らはあなたのものだからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句は、私事ではありますが、今の私に与えられるべき、与えられるにふさわしいものであることを実感するものでした。私は今日ある会議に出席して、日本におけるカルト宗教の現状について話をしなければなりませんが、急きょ依頼を受けたこの務めに、とても及び腰でした。あるカルト宗教団体の資金援助がなされている会議だからです。インターネットで調べるかぎり、そのカルト宗教団体の擁護会議のような様相を呈しています。そのようななかで、まるで敵陣に乗り込むかの如く、こういう会議に出席しなければならないことが負担であり、苦痛のように感じていました。
 
しかし、私は大切なことを忘れていました。神である「主」がともにいてくださるならば、過剰におびえる必要などこにもないのだ。今までこの問題に取り組んできて、いわれなき様々な妨害があったとしても、そのことで過剰に苦しむことはなかったではないか。いつも神が助けてくださった。そのことを昨晩ずっと思い起こしていました。そのうえで、今日の旧約聖書であるエレミヤ書の言葉は、私の心に響きました。主なる神の仰せが、私に語りかけて下さっている。ともにあるならば、彼らはあなたに勝つことはないと。
 
イエスも十字架という痛みと苦しみに本人が立たれる前夜に、私たちのために祈ってくださったのです。これから起ころうとしている考えられないほどの苦痛のなかにあっても、イエスは私たちのことを父なる神にすべて委ねられました。あなたのものなのですからとイエスは言われました。そして、イエスは自分に与えられた使命というものを果たすべく、ただ十字架に向かって行ったのでした。
 
イエスの十字架に比べたら、、という発想は、人に強要する材料としてはとても危険なことであり、まさに今日語ろうとしているとあるカルト宗教団体のようでありますが、しかし、自分自身に押し当ててこういうことを考えてみると、実に勇気が与えられる。そんな思いがしたのです。そこに、神がともにいてくださる。なんという励ましでしょう!
 
そんな思いをもって、新しい一日を歩んでまいりたいと思います。皆さんの一日にも、ともにいてくださる主が、多くの守りと平安を与えてくださいますように。お祈りします。

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