02/07/2024

2024.7.2(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
士師記5章31節
こうして、主よ、あなたの敵はすべて滅びる。
主を愛する者たちは、日の出の勢いを得る。
国は四十年にわたって平穏であった。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書5章14,16節
あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、天におられるあなたがたの父を崇めるようになるためである。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
2024年もあっという間に半年が過ぎたと感じるのは私だけでしょうか。そのような日々のなかで、いろいろあるけれども今日もまた生きている。神様から命が与えられているということが、本当に尊いことなのだと思わされました。
 
昨日は出張地からの移動と、来年のローズンゲン出版のために時間を費やしたため、黙想をお届けすることが叶いませんでした。楽しみにしてくださった皆様には、申し訳なく思っております。7月は遠出をする用事がいつもに比べて少ないので、着実に日々の務めにあたっていきたいと思いを新たにしました。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して感じさせられたこと。それは「誰が輝くのか?」という問いについてでした。今日の旧約聖書の言葉には「日の出の勢い」という言葉が登場しますし、新約聖書にはイエスによって語られた「あなたがたは世の光である」という言葉が記されています。
 
イエスは「あなたがたは世の光である」と告げられました。このイエスの言葉は、人々に対する可能性を指す言葉でなければ、努力目標を指す言葉でもありません。人々に対するすでに断定されたイエスの宣言に他なりません。ですから「あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい」というイエスの命令は、この光を輝かすために何とかしなければならないと言った、私たちのうちからわき起こさせようとする自家発電のような光とは全然違うのです。
 
イエスが、あなたがたは世の光にすでにさせられているのだよと宣言できるのは、すでに私たちを光り輝かせてくださる方がいるからです。それが神の栄光であり、神がご自分の思いと願いを光をもって私たちを照らし続けてくださるからこそ、私たちはその光で日々の生活を営むことができているということなのです。
 
もし、私たちに期待されていることがあるとすれば、神の光を受け取り、それをこの世の中に対して光放たせる「反射板」のような役割なのではないかと私は思うのです。そのために、光をさえぎり、曇らせるような反射板になっていないかどうかを日々点検し、見直し、磨くという営みが、私たちのなすべき務めなのだと思います。神の御言葉に磨かれて、聖霊の助けによって、私という反射板が反射板としての役割を少しでも果たせたらと願うばかりです。あくまで光そのものは神のものであるということをあらためて知らされます。
 
日の出とともにあけぼのの光が勢いを増す時に、それが私たちにさまざまな恩恵をもたらすように、ときのイスラエルに40年にもわたる平和を与えたように、私たちの心にも神が与えてくださる光によって、心の平安、この世の平和を愛することが出来ますように。
心からお祈りいたします。

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