19/07/2024

2024.7.19(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書65編17節
見よ、私は新しい天と新しい地を創造する。
先にあったことが思い出されることはない。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネの黙示録21章1節
また私は、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は過ぎ去った。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するのは「新しい天と新しい地」という言葉です。新天新地などという言葉でも表現される、やがて来たる神の国付いて表されたものです。
 
先日、私たちの教会で「教会修養会」が行われました。私たち教会はどこに向かって歩んでいくのか。そんなことを私たちの姿勢を踏まえながら、大切なことを分かち合うことのできたに二日間を過ごすことができました。
 
私たちの向かう先は、イエスが最も大切なこととして人々に伝えた「神の国のおとずれ」というものでした。神の世界がやって来る。イエスはそのことを伝えるべく、そのかたちと姿勢についてご自分がその模範を示され、私たちにその記録を与えられました。だからこそ、神の国とはどういうところかを、私たちは具体的にイメージすることができるのです。
 
そういうことを考えるなかで、私たちは「神の国」とは何かということについて、考えさせられます。神の国とは歴史のなかで現実に起こる、将来来たるべき世界だ。それは間違いありません。しかし、ただ国が来る。それだけでしょうか。私たちは国に住むということは、その国が示す姿勢であるとか価値観というものを理解しなければ、その国の住民となることは本当に難しいのだと思わされます。
 
ですから、私は神の国を「神の価値観」という風に言い換えても何ら問題ないと考えています。神の価値観に満たされる世界。それこそ神の国の真実であり、私たちが目指すべきところなのだと私は思えてなりません。これこそ、教会が何よりも大切にしなければならないことであり、神の価値観によって私たちは生かされ、整えられ、そのなかで神と共に歩む幸いというものが与えられるのだと思うのです。
 
私たちがそれぞれに持つ価値観は、神の持たれる価値観によってかたちづくられているでしょうか。今日の聖句が示す「新しい天と新しい地」というものは、古いものを引きずってできるものではありません。古いものはとても大切です。温故知新(古きをたずねて新しきを知る)というくらいですから。しかし、私たちは単なる懐古主義や、ノスタルジックなものばかりに思いを寄せすぎていると、神が私たちの歩む向こうで示してくださる価値観というものの幸いというものを、心の底から味わうことの妨げになってしまうかもしれない。そういう思いを持つことは、実に大切なことであると私は思います。
 
神の持たれる「新しい天と新しい地」という言葉に示された価値観を、今日も聖書の言葉と聖霊の助けによって、自分の大切な心の糧とすることができますように。お祈りします。

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