18/07/2024

2024.7.18(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編91編14節
彼は私の名を知っている。
私は彼を守ろう。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ペトロの手紙一5章7節
一切の思い煩いを神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句のなかで、今日は旧約聖書・詩編の一片に心を寄せたいと思いました。91編14節の後半部分が、今日のローズンゲンです。
 
詩編91編には、神を私の避難所にしようとする詩人の深い信頼について歌われている箇所ですが、詩人をそのように思わせる根拠が、今日のローズンゲンに記されています。なぜなら、彼(詩人、それのみならず神の民)は「私の名」を知っているのだから、私が彼を守るのだと。ここで言う私とは「主」という名前を持たれた神であることは一目瞭然です。
 
主という名前は、私たちには理解を難しくさせます。だからこそ、神の名前には「私はいる」という意味が込められていることを、繰り返し繰り返し私たちが覚え続ける必要があると私は思っています。主という言葉には「私はいる」という意味に直結するような要素を、あまり見受けることができないからです。主従関係のような存在(であることには間違いないのですが)だけに、私たちは終始してしまう可能性があるからです。
 
主従関係ではなく、私に近づき、私にぴったりと寄り、私にその存在を知らせてくださる神の存在こそ「私はいる」ということに他ならないのだと、私は「主」というお名前に思いを寄せたいのです。人によっては「YWHW」とか「ヤーウェ」「ヤハウェ」と呼ぶ方もおられます。それはとても正確な表現であると私は思いますが、「主」という言葉を使ってはならないとも思いません。大切なことはその真意を私たちが理解しているかどうかということであると私は思います。
 
その御方が私たちを守ろうと宣言してくださっている。この極めて基本的な神の姿勢に、私たちは生かされているということを、今日も大切に守り続けていきたいと思うのです。今日の新約聖書の言葉は、神が私たちを守ってくださるということへの深い信頼が無ければ成立しない聖句でしょう。神が私たちのことを心にかけていてくださるからこそ、私たちは自分たちの一切を主にお委ねしようという気持ちになれるのです。疑いのあるところに自分を委ねるということは、本当に困難なことなのだと私は思います。だからこそ、疑いのなかにあっても、語弊がありますが、だまされたと思って神にお任せしてみるのは、新たな経験の道が開かれるかもしれない。そこにも神が与えてくださる希望があるのかもしれません。
 
そんな一日を過ごすことができますように。神とともに。お祈りします。

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