15/07/2024

2024.7.15(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編46編8節
万軍の主は私たちと共に。
ヤコブの神は我らの砦。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マルコによる福音書6章34節
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れられた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
三連休の最終日を楽しんでおられる方も多くあるかと思います。私が働く仙台宮城野教会では、年に一度の「教会修養会」の二日目を午前にもちます。年に一回、教会のあり方について想いを分かち合う大切な機会が与えられていて、本当にありがたいと思わされています。
 
昨日の修養会一日目では、私たちは「神の価値観」というものに本当に生かされているだろうか。そのために必要なのは私たちがいかに柔軟な心と思いを、神によって整えられているだろうかということについて、みんなで考えることができました。教会は私たちの集まりであることに間違いありませんが、その真ん中に神がキリストとともに立っておられて、そのことを聖霊が私たちに気付きを与え、私たちひとりひとりが神の価値観によって生きるよう導かれている場であることを、つねに確かめながら歩むことが何よりも大切なことなのだということを大切にしたい。そのように思わされてなりません。
 
今日の聖書の言葉は、そのことをさらに意識させるものだと思わされました。イエスが民衆を見たときに、飼い主のいない羊のようであったと記されています。本来ならば、いや神の切なる願いは、御自身とともにいるという事実を人々が知ることで幸いを得るというところにありますから、「飼い主のいない羊」のように見えるということは、何らかの差し障りというものが、人間社会のなかに存在していたということを表しています。
 
だからこそ、イエスは人々に教えられました。どんなときにも私たちの守りとなってくださる神がおられるということをです。神の価値観を人間に向けてイエスは語られました。そうすることで、神の価値観を胸にして生きようとする人々を生み出す業をイエスは生涯をかけておこなわれたのでした。人々の現実に痛みを覚えながら、憐れまれたのは何を隠そうイエス御自身だったのです。
 
そのことを、いにしえの詩人は「砦」という言葉で表しました。とりで。これは私たちの命を安心と安全に導くための守りとなってくれるものです。決して孤独などということはないのだ。神御自身があなたの守りとなってくださる。飼い主のいないみなし子などということ自体、神は決してお許しにならないのです。人間社会のさまざまな差し障りから私たちを守ってくださる神がともにおられる。ここにこそ、今日のふたつの聖句が指し示す幸いというものがあるのだと心から受け入れたいのです。
 
今日もそのような神の守りに支えられながら、一日の残りを過ごすことができますように。お祈りします。

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