列王記上8章56節
その僕モーセを通して約束された主の恵みの言葉が、一つとして実現しないことはありませんでした。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書24章27節
モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書いてあることを解き明かされた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたどちらの聖句にも、共通して登場するワードは「モーセ」です。モーセを通して語られた神の言葉は必ず実現するということであり、それは具体的にはイエス・キリストによって実現された、というものです。
では、モーセを通して神は何を思い、そして語られたのでしょうか。ここで、神がモーセを指導者に立てて、エジプトの奴隷状態にあったイスラエルの民たちを解放するために、紆余曲折がありながらも最終的に神が約束された土地へ導いたことを通して、神はご自分の名前に示された通り、ご自分の民たちとともにいてくださり、その民をしっかりと守られた。この神の思いが随所で語られたのでした。そして、その約束がなんら違うことなく果たされたのでした。
ここで言うイスラエルというのは、一民族に限定されたものですが、その道はイエス・キリストを通して全世界に開かれることになりました。神が約束されたことが聖書を通して後代の人たちに語られ、受け継がれ、それはイエスによってさらなる道が開かれて、今日の私たちに聖書をもって語られていくのです。私たちがいにしえからある神の物語が、こうして現実のものとして私たちにバトンが渡されていることを思うと、とても感慨深いものを感じずにはいられないと私は思うのです。
人間同士の約束はその多くは果たされていると言っても良いでしょう。しかし、約束を果たすのにはお互いがその約束が守られていくことに誠実である必要があるし、誠実であり続けることが、時には大きなチャレンジを生むことも間違いありません。この約束が約束として守られて続けるべきなのだろうかと思うこともありますし、簡単にそれが破棄されることもあれば、その約束がかえって人間を不健全に束縛することだってあるのです。
私たちは神が人間に対してなされた約束の目的に注目したいのです。それは、人間を不健全な支配・被支配関係から解放することです。本来人間が享受するべき自由と安全を味わうことが出来るように、神が働いてくださっているというのです。そのために、神はご自分のなされた約束に対しては、誠心誠意をもって私たちに働きかけてくださっているし、それはイエス・キリストの生涯によって、具体的なモデルケースとして私たちに提示されているのです。
だからこそ、私は神が人間に対して向けられた約束を受け入れる者として誠実でありたいし、それが私たちひとりひとりを解放させる大切な出来事なのだということを、改めて自分自身のことととして受け入れたいと思ったのでした。イエスが私たちに示された生き方というものを自分自身の生き方としたい。そう神が導いてくださることを聖霊なる神の豊かな導きのもと感じ取っていきたい。そんな一日を過ごしたいと思いますし、そのことを皆さんとともに喜びたいと思わされました。
今日の一日の営みが、そんな平安に包まれますように。心よりお祈りします。
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