11/07/2024

2024.7.11(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
ホセア書2章1節
彼らは「あなたがたはロ・アンミ」と言われる代わりに「生ける神の子ら」と言われる。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ガラテヤの信徒への手紙一4章7節
ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人でもあるのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示された聖書の言葉のうち、旧約聖書・ホセア書の一節には「ロ・アンミ」という言葉が登場します。どういう意味でしょうか。「ロ」とは「~ではない」であり、「アンミ」とは「私の民」という意味です。これは神の言葉ですから、イスラエルの民に向かって「あなたがたは私の民ではない」と言っていることになります。
 
ともにいてくださるはずの神が、私たちに向かって「私の民ではない」と言われたら、私たちはどうしたら良いのでしょう。私はしばしば、このローズンゲン黙想では、神は私たちとともにおられるということを前提、土台にして神の御言葉に聴くということを大切にしていますが、しかし、神がそう言わざるを得ない場合もあるということを、私たちは御言葉から丁寧に聴き取りたいのです。
 
それは何か。私たちが「神に守られている」ということの上にあぐらをかいて、神に向き合おうとしないときです。神の愛に私たちが向き合わないときにこそ、私たちのなかには神が不在の状態となってしまっているのであって、それは神にとって私たちはもはや、神の民である必要はなくなってしまっている。実はこのような神の言葉は、私たちがおのずとそうしていることへの証明の言葉なのかもしれません。
 
ロ・アンミとは、預言者ホセアの妻であるゴメルが産んだ男の子の名前です。しかし、ホセアの妻ゴメルは、淫行の限りを尽くしたとホセア書の冒頭に描かれています。それが何を意味しているのかは解釈にもよりますが、ゴメルは不貞と淫行のゆえに産まれたのがロ・アンミと名付けられた男の子であって、ホセアの実子ではなかったとも言われているわけです。
 
この関係を、神とイスラエルの民の関係になぞらえつつ、ホセア書の物語が進められています。神は人間をどのように関係を結ばれるか、それを保たれるか。私たち人間の側の態度というものが問われているのです。私は思うのです。神はロ・アンミと言いながらも、破綻した関係性が神の愛によって回復されることを心から願っているということをです。実際に、ホセアもそのような神の愛に揺り動かされて、神の言葉を預言する務めにあたりました。
 
だからこそ、ロ・アンミではなく「生ける神の子」と呼ばれると、神はホセアを通して宣言しておられるのです。不貞ゆえに生まれた子などではなく、本来の祝された関係性に回復されていくのです。神の愛によってです。
 
それがイエス・キリストによって実現されました。今日の新約聖書の言葉であるガラテヤの信徒への手紙の一節では、私たちはもはや奴隷ではなく、神の子とされているとパウロは書きつづりました。破綻した関係性ゆえに痛みと苦しみにがんじがらめにされる奴隷のような関係ではなく、財産を相続するにまことにふさわしい親子の関係に回復するのだと。だから、私たちは自分自身のあり方というものを、神の真実をいただきながら、今日も歩んでいきたい。そこにこそ、神の子とされていることの実感がわいてくることを、私たちの希望としていきたいのです。
 
どうか今日も、神の民、神の子とされていることの幸いを確認して、一日を過ごすことができますように。お祈りいたします。

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