07/06/2024

2024.6.7(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
出エジプト記23章20節
私は使いをあなたの前に遣わし、あなたの旅路を守り、私が定めた所に導き入れる。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書2章13節
博士たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、幼子とその母を連れて、エジプトへ逃げ、私が告げるまで、そこにいなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句。いずれも何かの出来事に先行して、神が私たちにこの後に起きることを知らせ、その命を守られるといった内容です。神が私たちのために先立って歩まれる方であることを私たちに伝えるものですが、私たちの生きる現代に、そのような「予告」と呼べるようなものを体験することがあるのだろうか。そんなことをふと思わされたことから、今日の黙想を始めたいと思いました。
 
今日の旧約聖書の言葉は、出エジプトのさなかで、神がモーセに告げられた言葉です。民全体に語られる前に、その民を率いるリーダーに向けて、いわゆる「先立って歩まれる神」について告げられた言葉でした。その神が、ご自分の使いを遣わして民を導くのだから、その声に聴き従いなさいと、モーセに告げられたのでした。
 
この聖書箇所は、イスラエルの民に神が十戒を与え、その十戒に続いて契約のための律法を授けられたシーンのなかで語られています。私はこんなイメージをしました。私たちに先立って歩まれるのは神なのだけど、具体的には十戒のご命令が、そして契約を結ばれた主なる神の律法が、私たちの先頭を歩んでいる。そんな印象です。
 
つまり、私たちが歩むために無くてはならない指針というものが、神の口から語られる言葉なのだと。これだったら、神の「予告」として、私たちがいついかなる時でもその予告の言葉として、私たちは神の言葉に聴き、受け入れ、従うことができるのだと私は感じさせられたのです。私たちの命を守るために、神はご自分の言葉を豊かにお与えくださる方なのだと。その守りの根底にあるものは、注がれた命を慈しむ神の愛に他ならないのだと。
 
今日の新約聖書の言葉は、人間のエゴによって邪魔者は消そうとたくらむひとりの王。その背景には恐怖と不安に満ちあふれた人間の心がもたらす横暴にさらされそうになった親子に、エジプトへ逃げよと告げられた神がおられた話です。幼子イエスが殺されないために、その命が守られるために、神が使いを遣わして彼らをエジプトへ逃避させたきっかけとなったエピソードです。
 
全ての根底にあるものは、人間の不安です。出エジプトの民も、先行き見えない不安のなかを歩まなければなりませんでした。赤子を皆殺しにしようとする王の心にあったのも不安と恐れでした。しかし、その先に平安が訪れるか、それとも不幸なことが起きるかは、その不安が何によって解消されるかということなのです。人の慰めや励まし、不安を和らげるための科学的な方法、生理欲求などいろいろ解決のすべはあるでしょう。
 
そのなかで、今日の聖書の言葉が伝えていることとは、神の語られる言葉にこそ、究極的な助けがあることを私たちに伝えているのだと。この言葉によって、今日も私たちが生きるための指針というものが定められていることを、一日を生きるための道しるべとしていきたいと願わされました。そんなことを黙想しました。
 
皆さんにとっても今日一日の道程が、神の守りと祝福に満たされた言葉によって裏打ちされたものでありますように。お祈りいたします。

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