25/06/2024

2024.6.25(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書46章12~13節
聞け、心のかたくなな者たち
正義から遠ざかっている者たちよ。
私は私の正義を近づけた。それは遠くはない。
私の救いは遅れることはない。
私はシオンに救いをイスラエルに誉れを与える。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙10章10節
実に、人は心で信じて義とされ、口で告白して救われるのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句のなかで、今日は旧約聖書・イザヤ書の言葉に注目したいと思いました。私はこの聖句に触れて、とても面白いと思ったのです。
 
預言者イザヤは、神の言葉を民に語りますが、この民たちは「心のかたくなな者たち」と書かれています。つまり、神に背を向けて歩んできた人たちであり、もしかしたら、自分たちがまさか神に背を向けているなどとは思っていないかもしれません。それほどに心の感覚が鈍く、鈍さゆえに頑固に凝り固まってしまっている状態にあったのが、この言葉の向こう側にあった人たちでした。
 
普通考えるに、こういう人たちが待ち受けているのは、神罰のようなものであると私はつなげて考えてしまいます。しかし、神はそうではないのです。正義から遠い人たちに対して、自分の正義を近づけよう。心が頑固なあなたがたを、私の正義で心しなやかなものとし、救いを与えようというのです。確かに懲らしめはあるかもしれないし、実際にこの当時の民たちは辛酸をなめなければならないこともあったわけですが、しかし、神はご自分の民が苦しみ続け、頑固であり続けることをお望みではないわけです。だからこそ、私の正義を近づけて、ご自分の民を救ってしまおうという思われる。
 
私はこのことに感動を覚えました。自分に背を向けて好き勝手放題歩んでいる民たちに、自分の方から近づく。普通ならば向こうから近づくのが筋だろうなどと言うことを口走ってしまいそうになりますが、神はそうではない。ご自分から私たちに迫ってくる。近づいて来る。ここに旧約聖書に描かれた神の魅力というものがあるのだと私は思うのです。
 
20世紀を代表するユダヤ教神学者にA.J.ヘッシェルという人がいますが、彼は律法に込められた中心的なテーマである「愛」をもって人々に迫ってこられる。『人間を探し求める神』という代表的な著作がありますが、まさに神が私たちを追いかけるまでにご自身の愛を貫かれる。それが神の持つ正義だと言うことをあらためて思い出しました。
 
その神の愛に、私たちの心が温められて、私たちは神に応答できるのだと。信じるとは私たちからの発信ありきではなく、神の愛に対する応答に他なりません。神の愛に私たちが応答する時に、そこには神が準備してくださっている救いがあることを、私たちは想いつつ、今日の一日を過ごしていけたらと思わされました。
 
私たちを探し求め、追いかけてくださる神の守りと祝福が、今日も私たちを活かす源となりますように。お祈りします。

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