24/06/2024

2024.6.24(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編119編77節
あなたの憐れみが私を訪れ
私を生かしてくださいますように。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
フィリピの信徒への手紙1章9節
私は、こう祈ります。あなたがたの愛が、深い知識とあらゆる洞察を身に着けて、ますます豊かになりますように。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句のなかで、私は新約聖書・フィリピの信徒への手紙に記されている「深い知識とあらゆる洞察」という言葉に注目したいと思いました。このことを黙想したいと思います。
 
この言葉、実は私がかつてカルト宗教団体に属していた数十年前に、その団体はこの聖句を良く用いていたのを思い出しました。聖書の言葉を洞察力をもって深く調べ、知識を得なければならないということを、たびたび教えられました。しかしその実は、その団体が発行する出版物に記されていること「だけ」を徹底的に調べ上げることへの推奨だったのです(実際に『洞察』と呼ばれる事典があって、その本から調べ上げると、何となく洞察力があるような気分になったものです)。
 
今思えば、それは洞察でもなんでもないわけです。彼らの主張が記されているものを読み、難解なものが理解できたと思い込んでいただけでした。洞察とか理解力と呼ばれるものは、そんなものでは身に付かない、と言ったら語弊になりますが、それでも私たちが身に着けるべき洞察力とか理解力というものがどこから来るのか、聖書の言葉にやはり聴きたいと思うのです。
 
フィリピの信徒への手紙を書いた使徒パウロが言った洞察力や理解力の源は「あなたがたの愛」であると書きつづっています。つまり、それらの動機は神が私たちに与えてくださった愛によるものでしかないということです。神が私たちにいかに大切な存在として見守り続け、時に私たちにとって本当に必要なものを、御言葉と聖霊の助けによって適切にあたえてくださる神の知恵と力には、私たちに対する深い理解と洞察が込められていると私は思うのです。
 
この愛無しに、私たちは神を理解し、神の言葉を洞察することはできないと言っても過言ではありません。だからこそ、神の愛を憐れみとしていただきつつ、今日も神に生かされて私たちは生きる者とさせられる。このことに思いを寄せて過ごしたいと願わされました。
 
今日から始まるウィークデイの日々が、皆さんにとって深い理解と洞察力をともなったものとなりますように。それを見守り祝福してくださる神の愛がともにありますように。お祈りします。

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