07/05/2024

2024.5.7(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編50編2~3節
この上なく麗しいシオンから
神は光を放たれる。
我らの神は来られ
黙ってはおられない。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マルコによる福音書12章32節
律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』と言われたのは、本当です。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示された聖書の言葉のなかで、新約聖書・マルコによる福音書12章に描かれているエピソードは、イエスと律法学者とのあいだで交わされた会話の一節です。
 
聖書に親しんでおられる方ならば「律法学者」と聞けば、何となく良いイメージは起きてこないのではないでしょうか。常にイエスをやり込めようと思い巡らして挑戦的にイエスへ迫るものの、イエスの言葉や態度によって逆にやり込められてしまう。そしてイエスにうらみを募らせ続ける。そんな印象です。私も律法学者と聞くと、そんなイメージを抱いてしまいます。
 
しかし、ここで登場する律法学者はそのような固定観念を覆させるものがあります。イエスに対して律法学者は尋ねます。あらゆる戒め(律法)のなかでどれが一番重要であるかと。イエスは答えます。ただおひと方である神を徹底的に愛すること、そして自分自身を大切にするように隣人を愛することと。このイエスの応答に対して、律法学者が答えたのが今日のローズンゲンに示された新約聖書の言葉です。
 
この律法学者が私たちのイメージにあるような律法学者と違うところは、神が何者であるかということを中心として物事をとらえ、そして考えているというところにあると私は思います。そこにはイエス対して己の正義を振りかざすべく願望を果たし、自己主張だけに終始する姿はありません。真摯な律法の学者らしく、イエスの言葉にフラットな視点で同意し、神を神としてあがめている思いを、私たちは律法学者の言葉からうかがい知ることができます。
 
だからこそ、律法学者の言葉に対して、イエスはこの律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは神の国から遠くない」と言われた。(34節)と言われました。神の国、つまり神が天地にもたらすご自身の価値観がこの場にあふれました。神御自身がイエスと律法学者、そしてその会話を聞いていたすべての人たちのあいだで、神を神とする。神の価値観が第一に立ったからです。
 
そのことを踏まえて、もっとも大切な戒めとしての「神を愛し、隣人を愛する」ということを考える際に、私たちにとって愛するという行為は、神を中心としたところにあって初めて成り立つものであることが分かります。私たちは神を除外して愛を育むことも可能でしょう。しかし、それは聖書で言うところの愛ではありません。一時的な、簡単に壊れやすくもろい愛に過ぎません。私たち人間は、この「愛らしきもの」を真実の愛ととらえてしまうがゆえに、その愛が壊れゆく姿に接しては苦痛を感じるのかもしれません。
 
だからこそ、神が私たちに与えてくださる愛とは何かについて、聖書の言葉から丹念に耳と心を傾けつつ、自分自身が望む愛のかたちと比較しながら点検する必要があるのだと私は思いました。その時に大切なのは、私は神の思いを第一にしているだろうかという問いの一点に尽きるのだと思います。
 
神が私たちの心に光を放たれるときに、私たちの姿を明らかにしてくだいます。その姿に逃げることなく、己と向き合い、神を見つめることができますように。皆さんの一日に、神の守りと平安をお祈りします。

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