23/05/2024

2024.5.23(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書9章1節
闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。
死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書2章10~11節
博士たちはその星を見て喜びに溢れた。家に入ってみると、幼子が母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝んだ
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するテーマは「闇のなかに輝く光」であると私は受け止めました。聖書にはしばしば、私たちの社会や私たち個人の日々を暗闇で表現することがあります。光が投じられない状況のなかで、私たちはもがき苦しんでいる。しかし、神がその闇に一筋の光を投じられることで、私たちはその光に喜びつつ、足元が照らされるがゆえに明日の一歩を踏むことができる。そんなイメージです。
 
星を頼りに長旅を続けた東方の博士たち。よくよく考えてみれば、星を頼りに歩いていたということは、星の見える夜の時間に旅をしていたということになります。昼夜逆転の生活をこの博士はしていたのかなと思ったりします。夜に旅をするというのは、今のように街灯もなにもない時代ですから、もっと不便さを強いられる状況のなかで、暗闇のなかを歩いていたということになるでしょう。
 
しかし、彼らは「さまよい歩く」ことは無かったと思うのです。星を頼りに彼らは歩きました。暗闇のなかでも、彼らの旅を助けるために神はいささかの助けを間違いなく与えていた。はっきりと光に出会うまで、暗闇を感じつつも与えられる助け。この助けこそ旅人である博士たちにはなくてはならない助けであり、慰めであったに違いないのです。
 
私は思いました。必ずしも閃光が輝くような助けはないかもしれない。しかし、目あてにするための光が必ず神が与えてくださるものなのだと。それは私たちの期待するところとは違うかもしれない。しかし、神が与えてくださる一個の星の輝きは、必ず私たちの誰でも分かるような光を見るための序章なのだと。そのことを、私たちがいかに信頼をもって神のなさることに応えることができるだろうか。そんなことを黙想したのです。
 
闇のなかでも、暗闇のなかでも明らかに生きて働いておられる神に守られながら、今日という一日も歩んでまいりたいと願わされました。皆さんの新しい一日に、そのような光の輝きがともにありますように。お祈りします。

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