09/04/2024

2024.4.9(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エゼキエル書18章23節
私は悪しき者の死を喜ぶだろうか――主なる神の仰せ。私は、彼がその道から立ち帰り、生きることを喜ばないだろうか。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙6章23節
罪の支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠の命なのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
 
今日のローズンゲンに示された、旧約聖書・エゼキエル書18章23節の言葉に込められた「神の思い」というものに、心惹かれました。神は、いたずらに人を呪ったり、断罪し、人を死に定めるようなことはなさらないことを思わされます。
 
昔からそうなのですが、神の呪いや裁きというものをことさら強調することで、神を救いを提示するという、福音宣教の手法があることを、私たちは知っていると思います。実際に聖書をひもとけば、神罰とも思えるような記述がありますし、終末に向かうなかにあって、最終的な審判についても聖書には書かれているわけです。ですので、神の呪いや裁きという面がどうしても強調されるというのも、分からないわけでもありません。
 
しかし、今日の聖書の言葉を見れば、神は好戦的に人を死に定めることを望んでなんかおられないということは一目瞭然です。神のもとに帰り、神とともに歩むことを望んでおられる神御自身がおられるのだ!では、私たちにとって「神のもとに帰り、神とともに歩む」とは、いったいどういうことなのだろうか。そのことに想いを寄せ、神とじっくりと向き合って、御言葉と聖霊の助けから考えていきたいのです。
 
今日の新約聖書の言葉である、ローマ書の言葉は、神のもとに帰り、神とともに歩むための具体的な賜物(贈り物)は、イエス・キリストであるという、筆者パウロの思いが込められています。やはり、私たちはイエスという御方がどういう思いを抱かれ、言葉を紡ぎ、私たちに対して何を行われたかということに、もっと心を寄せて理解すべきなのだと、私は改めて思わされたのでした。
 
今日も、イエスの言動がもたらす神の幸いというものに、少しでも心を寄せながら過ごすことのできる一日でありますように。皆さんの主にある幸いを、心よりお祈りいたします。

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