07/04/2024

2024.4.7(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
士師記10章15節
イスラエルの人々は主に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたの目に適う良いことを、すべて私たちに行ってください。今日、どうか私たちを救い出してください。」

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書18章13節
徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。「神様、罪人の私を憐れんでください。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
新しい一週間が始まりました。世界のすべてで行われる主の日の祝祭としての礼拝や集会の一切に、主なる神の祝福をお祈りいたします。
 
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「罪」という言葉についてです。どちらの聖句にも、自分自身が罪を負っていることを自覚したうえで、神に憐れみを求め、救いを求めている人の思いというものを見ることができます。
 
罪とは、神を必要としない態度や、言動のことを指します。聖書の語る罪は、神から離れて独立独歩の道を選択するがゆえに、さまざまな支障が自他ともに起こることを、私たちは経験します。世の中一般に言われる罪とは、むしろ結果として表れるものを取り上げて語れているようにも思います。
 
しかし、聖書に記されている罪は、表出する罪の根本・根底部分にあるものを指しているのだと、私は受け止めています。ですから、聖書でいう罪人(つみびと)とは、私の心の問題、意識認識がゆがんでいる状態のことを指すのだと思っています。こればかりは、自分自身ではどうすることもできません。
 
だからこそ、神が本来私たち人間を造られたときに、ご自分の「似姿」としてくださったという所にまで立ち帰りつつ、そこから離れようとする自分自身を見つめ、認識しながら、神に自分自身をあなたの言葉と力で変革してくださいと願うことが大切なのだと思います。そのような私の思いに、神は必ず応えてくださる。助けてくださることを信じたいのです。
 
神の言葉と力こそ、聖書の言葉、そして聖霊の力に他なりません。聖書と聖霊の両輪が、私たちに罪を理解させ、そして罪から解放される原動力になることを信じたいのです。
 
皆さんの一切に、神の守りと祝福をお祈りいたします。

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