04/04/2024

2024.4.4(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書45章6~7節
私は主、ほかにはいない。
光を造り、闇を創造し
平和を造り、災いを創造する者。
私は主、これらすべてを造る者である。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネの黙示録1章18節
(私は)生きている者である。ひとたび死んだが、見よ、世々限りなく生きており、死と陰府の鍵を持っている。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句ですが、新約聖書であるヨハネの黙示録1章に描かれているのは、ヨハネに示された黙示のなかで、主イエスが語られた言葉です。「死と陰府の鍵を持っている」と、イエスは語っています。死に打ち勝って、陰府から帰られた復活の主であるイエスだからこそ、そう語ることができるのだと。復活という出来事は、死をも支配される神の存在というものを明らかにしていることを、あらためて思わされます。
 
この現実の世の中では、まだイエスが死をも支配される方であるという、具体的なイメージがわいて来ないかもしれません。死は依然として私たち容赦なく襲うからです。いずれやって来るし死というものを、私たちは粛々と受け入れるしかありません。だからこそ、私たちがイエスを「復活の主」と受け止めるのは、自分たちの死後の世界にイエスが、死と陰府の鍵を持たれていて、私たちがそれこそ奈落の底、地獄に落とされることのないように、イエスが私たちを復活の命へ取り計らってくれるだろう、というようなイメージを持つことができるのかもしれませせん。いわゆる「復活の希望」は、あくまで「死後の世界」の話であるというとらえ方です。
 
しかし、これはいつも私が思うことですが、復活とは何も死後の世界に限定されたものでは決してない、ということです。むしろ、私たちがこの現実の世界で生きている時にこそ、私たちは往々にして、復活を体験できるのだということを大切にしたいのです。ここにこそ、復活の喜びや醍醐味というものがあるのだと、私は受け止めたいのです。
 
今日の旧約聖書の言葉であるイザヤ書に描かれているのは、辛酸を舐め尽くし、生きる希望を失っていたイスラエルの都エルサレムの市民たちが、神の言葉によって生きる希望を得ようとするときに、神によって語られた言葉です。神はご自分を「光を造り、闇を創造し/平和を造り、災いを創造する者。」と語っておられます。この言葉から私たちが想像できるのは、神が創造の主であり、しかも、エルサレムをご自分の言葉と行いによって、再創造する者であるということです。まさに、現世に神が復活の御業を豊かに見せてくださることで、私たちは復活というものが、何も死後の世界のものだけではないのだという思いへと導かれているのではないか。私はそのように受け止めました。
 
復活祭の喜びは決して冷めることなく、より一層私たちを復活の希望へと導く。そんなことを私たちの心に刻みながら、今日の一日を過ごしてまいりたいと願います。皆さんの一日に、神の守りと祝福をお祈りいたします。

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