24/04/2024

2024.4.24(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書54章4節
恐れるな、あなたが恥じ入ることはない。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書28章5~6節
天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が黙想したいと思ったことは、「私の恥」というものについてです。旧約聖書・イザヤ書の一節に「あなたが恥じ入ることはない」と書かれています。では、その恥とはいったい何だろうか。そのように思わされたのです。
 
まず、イザヤ書54書の冒頭には、子を授からなかった、もしくは夫に見捨てられた女性に対して、そのことを「屈辱」としています。私は、不妊や強制的な離縁という出来事そのものというよりは、そのような出来事を通して、社会がそれら女性たちに対してどのような扱いをしたかということのほうが、注目するべきなのではないかと考えています。
 
つまり、公私の別なく、そのような境遇にあった当事者が生きにくくさせてしまうような扱いを、無自覚につくりあげてしまう社会は、結果としてその方に屈辱を与えることになってしまう。仕打ちを食らわせることで、当事者に恥を与えてしまうような状況というものを負わせてしまう。私は、そのように受け止めました。
 
しかし、恥や屈辱というものはいつまでも残るものではない。そこにしがみつく理由はどこにもないというのが、今日の聖書の言葉につながるわけで、そのようなことに、いつまでも恐れていてはならないのだ。なぜならば、神御自身があなたの屈辱を取り除き、あなたとともに生きてくださり、再生の道をともに歩んでくださるから。
 
恐れというのは、そのような屈辱を与え与えられる環境からいつまでも抜け出せない。別な言い方をすれば、いつまでもしがみ付いてしまうような自他の心から生じるものなのだと思うのです。しかし、私個人の、また人間関係によるしがらみゆえに、恥や屈辱というものを感じ続けるのであれば、底から解放してくださる神こそ、私たちに復活の道を与えてくださるのだと、今日の聖書の言葉から受け入れたいのです。
 
今日の新約聖書の言葉は、イエスが復活された日、不安に惑う女性たちに天使が語られた言葉です。彼女たちも恐れに取り囲まれていました。しかし、心配ない、恐れることは無い。そう語りかけてくださるみ使いの声に、恐れを取り除き、前へと向かわせてくださる神がおられるのだと。
 
恐れの渦中にあるとき、この恐れから解放されたいと心から願うときに、それを取り除いてくださる神が必ずおられることを心の希望としつつ、今日も歩むことができますように。皆さんの一日のためにもお祈りします。

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