22/04/2024

2024.4.22(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ダニエル書3章28節
(シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの)神はほめたたえられますように。神は御使いを遣わし、神に信頼するその僕たちを救い出された。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マルコによる福音書1章13節
イエスは四十日間荒れ野にいて、サタンの試みを受け、また、野獣と共におられた。そして、天使たちがイエスに仕えていた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日も朝を迎えました。ここ数日間、夜は随分咳き込んで、眠りの浅い日々を過ごしていましたが、やっと風邪(か花粉症かは分かりませんが)から脱し始めてきたのを感じました。ぐっすり眠り、朝を迎えることができました。いつも思うことですが、健康が与えられるというのは、本当に感謝だなとあらためて思わされた次第です。
 
さて、今日のローズンゲンに示された聖句ですが、旧約聖書・ダニエル書の一節が選ばれています。バビロンの王であるネブカドネツァルの建造した金の像を拝まなかった三人の青年に対して、王は怒りに満ちた結果、彼らを燃え盛る炉のなかに放り込むよう命じました。しかし、三人の青年であるシャデラク、メシャク、アベド・ネゴは、焼けることなく炉から出てきました。神が彼らを守り、その命を助けたのでした。
 
彼らは、この書に登場する主要人物であるダニエルとともに、神によって与えられた能力ゆえに、ネブカドネツァル王から重用された人物でした。政府の高官として、生活と立場が守られていました。しかし、彼らは知っていました。自分がこうした生活ができるのも、ネブカドネツァル王のおかげでなく、自分を守り続けてくださる神のゆえなのだと。
 
だから、ネブカドネツァル王に対して誠実に仕えつつも、神がないがしろにされるようなことだけは、決して許せませんでした。たとえ、王の怒りを買おうとも、そのために今ある生活が失われても、どんなに脅しを受けたとしても、命の危険にさらされても、彼らは、神が神とされる道を選び取りました。
 
そのような彼らの思いを、神は決して見捨てることはなさらなかったのです。無傷で助けられました。彼らの命を守ったどころか、神はネブカドネツァル王の思いまでも変えてしまいます。神がほめたたえられますようにと、王は彼らを守る神に、心からの畏敬の念を表したのでした。後に、自分に仕える誠実な人物として、王は彼らを、そして彼らの神を心から信頼します。
 
私は、今日の聖書の言葉を通して、私たちが人間社会のなかで、またあらゆる人間関係のなかで、クリスチャンとして生きるのはどういうことだろうかということを、あらためて黙想させられました。私たちは人間関係を、利害の有る無しばかりで考えるあまり、神との関係というものを知らぬ間にないがしろにしていないだろうかと思ったのです。
 
特に、教会という場で、私たちは横に見える人間関係ばかりに気をとられて、そこに忖度をし、言いたいことすら言えない関係性をつくりあげてしまうばかりに、神が与えてくださった深い関係性が壊されていくとするならば、それはとても残念なことであって、神がキリストを頭として与えてくださった教会が教会でなくなってしまうのではないか。そのように感じたのです。
 
もちろん、横のつながりはとても大切です。しかし、神との明確がつながりがあるからこそ、横のつながりが成り立つのであって、私たちはどちらを優先するかと言われれば、それは明らかに、神と私の関係性であって、この関係性が横の関係性を構築していくのだと。今日の三人の青年におけるエピソードを通して、そんなことを受け止めたいと思いました。
 
皆さんの新しい一日が、縦軸と横軸の素晴らしいバランスのもと、健やかな生活がつくあげられますように。お祈りします。

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