21/04/2024

2024.4.21(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
箴言11章13節
中傷して歩く者は秘密を漏らす
真実な思いを持つ人は事を覆い隠す。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙4章15節
愛をもって真理を語り、頭であるキリストへとあらゆる点で成長していくのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、こんばんは。
新しい一週間を迎え、その一日目も夜が訪れました。朝、黙想をする時間がどうしても確保できませんでしたので、夜のひと時に、一日を振り返りながら、ローズンゲンに示された御言葉に聴き、黙想しようと思いました。朝に黙想をお待ちしていた皆さま、大変申し訳ありませんでした。
  
さて、本日のローズンゲンに示された旧約聖書・箴言の言葉は、とても考えさせられるひと言でした。「中傷して歩く者」という言葉。これは、他の聖書では、悪口を言い歩く者とか、人のよしあしを言い歩く者と表現されています。これは、単に人の悪口を言ってはならないという意味以上のものが含まれているように私は感じました。
 
人の悪口を言うということは、その人と比較して、私の正しさをいうものを表すことでもあると私は考えます。つまり、自分の正しさに照らし合わせて、人をあれこれ評価することで、自分自身の正しさというものをひけらかすことにつながるのだと私は思います。これを、箴言の言葉では「秘密を漏らす」という言葉で表現しているわけですが、それはさも、自分自身の姿を、あられもなくさらけ出すことに相通じるのではないかとも思ったのです。
 
それは決して、自分自身の真の姿をさらけ出すことを否定しているのではありません。ありのままの自分自身をさらけ出すことは、神に向かい、隣人に向かう真っ正直さそのものだからです。私が、中傷して歩く者が秘密を漏らすということを通して想ったのは、自分の真実の姿に気づかず、自らの正義だけに立とうとして、その虚実をさらけ出すことなのだと理解しました。だから、自分自身の真実をさらけ出すということとは、似て非なるものなのだと考えています。
 
それに続く「真実な思いを持つ人は事を覆い隠す」という言葉こそ、本当の意味で、自分自身に対して真の姿をさらけ出すことの意味であると、私は受け止めました。真実は、私が決して正義を貫き通せると思えない自分自身に気付くところにこそ、はじめて神の真実というものが明らかにされるのではないだろうか。そう思うのです。
 
だからこそ、私たちの神の真実をもって、自分自身の真実をもさらけ出すことができるのであり、その真実を神に向けるところにこそ、人と人とのあいだに、神が惜しみなく与えてくださる愛によって生きることができるのだと、受け止めたいのです。
 
今日の夜の休息が、主にあって豊かに守られますように。お祈りいたします。おやすみなさい。

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