02/04/2024

2024.4.2(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書57章15節
私は高く、聖なる所に住み
打ち砕かれた人、低められた人と共にいて
低められた人の霊を生き返らせ
打ち砕かれた人の心を生き返らせる。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書24章29節
二人(の弟子)が「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いています」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるために家に入られた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。

今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句、特に新約聖書の言葉は、イエスが復活した日の夕方に起きた出来事について記された箇所です。いわゆる「エマオの途上にて」と呼ばれている部分です。
 
私が教会の牧師とともに働きの場としているところに、日本基督教団東北教区センターがあります。「エマオ」と呼ばれているこの建物は、開館した約25年前より「神と人が出会う場所」というコンセプトをもって歩みを続けています。
 
私がこのコンセプトで気に入っているのが、見えるところでは人と人とが出会う場であっても、その人と人とを結び合わせるのは神御自身であるというところにあります。神との出会いというのは、とても観念的になりやすいのかもしれませんが、実はそうではない。神が結び合わせてくれなければ、人と人とが同じテーブルについて大切な物事を分かち合うことなどできない。だからこそ、神と人、人と人というふたつのベクトルが、どうしても私たちには必要なのだと思わされます。
 
エマオへの途上にてイエスと出会ったふたりは、最初はそれがイエスだと気づきませんでした。大切な師を失ったことで、ただ呆然とこの時を過ごしていたに違いないのです。だから、イエスが復活したという話を聞いても、それをにわかに信じることはできなかった。彼らの心の鈍さは、出会いが失われたことによるショックから来ていたのではないか。そう思えてならないのです。
 
そこに、イエスがこのふたりと出会いの場をつくり、道々触れ合うなかで、徐々に弟子たちの心が開かれていくドラマ。これがエマオにおける物語なのだと私はとらえています。観念的なところから実践的に、ふたりの弟子たちが揺り動かされて、ついにはイエスとの再会を果たしていく。これが復活のもたらす醍醐味なのでしょう。
 
神は、呆然自失のなかに、ともに住まわれ、平安を与えてくださる。そして、心を生き返らせる方であると、預言者イザヤを通して語られました。心の穴を慰めで埋めてくださる神が、今日も私たちとともにいてくださる。そんな思いを胸に抱きながら、一日を歩んでまいりたいと思います。皆さんの一切に、主の守りと祝福が豊かにありますように。お祈りいたします。

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