19/04/2024

2024.4.19(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
創世記6章22節
ノアはすべて神が命じられたとおりに行い、そのように実行した。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書7章24節
私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
私事ですが、不覚にも風邪をひいてしまいました。おそらく花粉症かもしれないという疑いもあるのですが、風邪のような症状(鼻水・鼻づまり・咳)なので、もしかしたら風邪と花粉症の両方なのかもしれません。私は常時というよりは、年に1回ほど、この季節になると似たような症状になることがあります。
 
昨日鼻づまりでなかなか寝付けず(普段そんな風にはならないので、耐性が極めて低いのです)、いつしか寝つけたと思いきや、目覚めたのがいつもよりもかなり遅い時刻となってしまいました。自分をいたわりながら、今日の一日を過ごしていきたいと思います。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私のなかで浮かんだイメージは「聴従」というものでした。聴き従う、神の言葉に聴く、そして従う。ここにこそ、幸いの道が開かれることを、神は聖書を通して私たちに語っています。
 
今日の旧約聖書は、神の命令に従って箱舟を建造したノアの姿勢について描かれています。神が命じられた通りに、ノアは箱舟を建造しました。結果として、彼は洪水という危機を乗り越えることができました。同様に、今日の新約聖書に示されたイエスの言葉は、自分の言葉を聞いて、従う(行う)者は、岩の上に建てた家に似ているとの言葉を残しています。強風や洪水が訪れても、聴従によって整えられた堅固な土台によって、家は倒れることがないとイエスは言葉を続けています。
 
そのような神への徹底的な聴従は、まさに「健全な依存」ということが言えるでしょう。依存というと聞こえが悪いかもしれませんが、健全な依存は、私たちの生活に潤いを与え、豊かにするものであると信じたいのです。そのような豊かさこそが、いわゆる神が与えたもう祝福であると、私は理解したいのです。
 
しかし、徹底的な聴従を私たち自身が許しません。聴従についつい自分自身のテイストを加え、自分好みの味に仕上げます。それはアレンジメントというよりはむしろ、改変という言葉で表現した方が良いかもしれません。神に対する聴従というよりは、むしろ自分自身への聴従を同意しているような、そんな気分になることが私のなかでもしばしばあったりします。こうなると、神への、そしてイエスへの聴従にはならなくなってしまう。神への健全な依存ではなく、自分自身に対して甘え、依存してしまっていることを痛感させられます。
 
ただ、そんな私たちをここまで生かし続け、今日もご自分の言葉を与え、聴従という言葉を通して、少しでも何かが気づけるように導いてくださる神がおられる。突風や洪水が私を襲っても、レスキューの道を今日も指し示してくださる。それが分かっただけでホッとする自分自身があることも確かです。だからこそ、少しでも聴従の思いが高められて、神の言葉に心から従えるような思いを、神にこいねがいつつ、今日の一日を過ごしてまいりたいと思いました。
 
皆さんにとっても、主なる神にあって素敵な一日でありますように。

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