13/04/2024

2024.4.13(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ダニエル書6章28節
この方は救い主、助け主。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ガラテヤの信徒への手紙2章20節
生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンによって選ばれたふたつの聖句、特に旧約聖書・ダニエル書6章の言葉は、この書の中心人物であるダニエルが、神によって自分の命が救われてきたことに感動した、ペルシャ王ダレイオスの告白です。この方、つまり神は、あらゆる困難から自分自身を守り、そのたびごとに救ってくださったと、ダレイオス王は心の底から感じ、神をほめたたえました。
 
ローズンゲンには、28節の前半部分だけが収録されていますが、28節の後に続く部分には「天にも地にも、しるしと奇跡を行い/獅子の手からダニエルを救い出された」と述べています。ダニエルは獅子の吠えたける牢の中に閉じ込められましたが、傷ひとつ得ることなく解放された。これこそ、神の助けがダニエルに臨んだのであって、神が人の命をつかさどる御方であることが明らかにされた一瞬でもありました。
 
神は、すべての人の命を守るために働いておられます。しかし、それは私たちが願うように、思うように果たされるかといったら、必ずしもそうとは言えません。むしろそうでない時のほうが多い、いや、ほとんどかもしれません。だから、私たちは時に、神は本当に私の命を助けてくれるのだろうかと、疑いたくなってしまうのです。これが偽らざる私たちの正直な思いなのかもしれません。
 
しかし、私が思うのは、神は御自分のタイミングというものと、ご自分のベストの方法というのをお持ちであって、必ずそれを必要に応じてなしてくださる方なのだと。こうして、神が私たちの神であられることを、私たちに教え、指し示してくださる。これこそ、今日の新約聖書の言葉でもあげられている「真実」なのだと、私は受け止めたいのです。真実。これはかつての聖書では「信仰」と訳されていた言葉です。
 
信仰というと、どうしても私たちから神へ向かう行為ばかりが強調されがちですが、そうではなく、神が私たちに真実をしめしてくださったということが、信仰の本質です。その本質を私たちが受け取り、感じ取り、体験して、そのことに感謝をもって応答する。もしくは期待して、神に向かう姿。これが信仰の本質なのだと私は思っています。信仰とは私たちの努力や鍛錬の出来事ではありません。
 
だからこそ、本日の新約聖書であるガラテヤ書において、筆者パウロがいわゆる「キリストのおかげで」私が生かされているのだと、手紙にしたためることができたのでしょう。
 
一週間も最終日を迎えました。キリストのおかげで私が生かされている。神がベストタイミングをもって、最高の出来事を今日も私たちにくださるのだという真実に期待して、歩むことができますように。皆さんの一切に、神の守りと平安をお祈りいたします。

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