05/03/2024

2024.3.5(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ヨナ書3章9節
そうすれば、神は思い直され、その燃える怒りを収めて、我々は滅びを免れるかもしれない。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マルコによる福音書11章24節
祈り求めるものはすべて、すでに得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
皆さん、おはようございます。
 
今日のローズンゲンに示された、ヨナ書3章9節の言葉ですが、私が編集に関わっている『日々の聖句 LOSUNGEN』(ベテスダ奉仕女母の家)には、この聖句を次のように訳しています。原典となる聖書は、ルター訳聖書2017年版です。
 
人が破滅してしまうことのないようにするためなら、神には思い直したり、後悔したり、ご自分の激しい怒りを止めたりすることがないなどと、誰が言えようか。
 
同じことを言っているわけですが、訳が違うだけで、その表現はなんと豊かになるのだろうと思わされました。私は「人が破滅してしまうことのないようにするなら」という、この一文に惹かれました。神は私たちを取り扱われるその根底にあるものが、この一文に尽きるのだと、私は受け取ることができました。
 
神は、ご自分がお造りになられた人間に対して、どのような思いを抱かれているだろうか。それは、私たちが神の御前に自分自身を向き合わせ、神が私たちに向けてくださる御顔を見つめながら、神とともに歩調を合わせることなのだと。そのなかで、私たちがいつでも思い直し(これが「悔い改め」の意味であると私はとらえています)、神の御心を真摯に尋ね求めようとしたときに、神は私たちのために、常に思い直しつつ、私たちの命を守ってくださる方であることに気付かされるのだと、私は受け止めたいのです。
 
祈り求めるものは何でも得られるとイエスは言いました。これは私たちの要求をすべて神が聴いてくださるということではなく、神のまなざしに私たちが気づいて、そのまなざしに自分自身の眼を向けようと願ってはじめて、かなえられる願いというものを、私たちは発そうとするのではないか。そのように思わされました。その私たちの叫びに、神は調整や変更を加えながら、ベストのタイミングをもって応えてくださるのだと。
 
主は私たちのために思い直されることに気付きが与えられる一日でありますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿