04/03/2024

2024.3.4(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ヨエル書4章16節
主はその民の逃れ場
イスラエルの子らの砦。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マルコによる福音書10章48~49節
盲人はますます、「ダビデの子よ、私を憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
 
神である主は、私たちをご自分の民としてくださり、私たちの逃れ場としてくださる。今日のローズンゲンに示された、旧約聖書ヨエル書の一節です。
 
私たちにとっての「逃れ場」とは何でしょうか。そんなことを今朝は黙想しました。私たちには逃げる場というものが、どれだけあるのでしょうか。聖書には「逃げる」ということに関する記述が、意外にも多いことにあらためて気づかされます。そして、逃げるということが、私たちにとって何を意味するのかを考えるのは、とても大切なことと言えるのだと、私は思います。
 
逃げることは卑怯者がすることだ。だから、その場にとどまり、しがみ付くことが大切なのだということを、よく耳にします。「石の上にも三年」ということわざは、そういう教訓から生まれたものなのだと思います。しかしどうでしょう。その人がつぶれてしまうような環境にとどまり続けるのが、本当に美徳なのだろうか。そう思ってしまうことも多々あります。逃げることは決して悪いことではないのです。
 
ただ、私たちは「どこに逃げるのか」ということを大切にしたいのです。今日の聖書の言葉は、私たちの逃れ場とは、主である神であると語られています。「神のもとに逃げよ!」と、私たちに神御自身が語りかけてくださいます。物理的な場所において、私たちが逃げるかとどまるかを決める前に、私たちは自分自身の心において神のもとに逃げるのです。そして「神様、助けてください」と、叫びの声をあげて神にすがりつくのだということを、今日の聖書の言葉は私たちに語りかけています。
 
私たちが神のもとに逃げたときに、では、実際に私たちはどのような選択をもって、現実の世の中で次の一手を打つことができるかを、じっくりと考えていったときにこそ、神は必ず進路というものを与えてくださるのだと思いたいのです。神という逃れ場のなかで、神が何をお考えになられ、何を期待し、望んでおられるかを、聖書の言葉に聴き、聖霊の助けをもって祈るという循環の営みが、逃れ場のなかでなされていくのだと、私は思いたいのです。
 
盲人がイエスにしがみついたのは、イエスに触れ、その言葉が聞きたかったからだと私は思います。神の言葉にしがみ付こうとする態度を、今日の一日も大切にしたい。そう願わされました。
 
皆さんにとっての一日も、まず神の言葉を通して、最高の逃れ場が与えられますように。一日の平安をお祈りします。

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