箴言28章13節
背きを隠す者が栄えることはなく
告白して罪から離れる者は憐れみを受ける。
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書19章8~9節
ザアカイは主に言った。「主よ、私は財産の半分を貧しい人々に施します。また、誰からでも、だまし取った物は、それを四倍にして返します。」イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
******
皆さん、おはようございます。
レント3回目の日曜日を迎えました。
今日のローズンゲンに示された、旧約聖書・箴言。箴とは竹ハリのことを指す言葉であり、私たちのツボにハリが刺されるときに、いっ時は痛いかもしれませんが、ツボが刺激されて効果を発揮するときに、私たちが健康な状態にさせられていく。そんな思いをもって、今日の御言葉に聴きたいと思います。
背きを隠す者という言葉が登場します。ここで言う背きとは、神に背を向けること。神が私たちに願われる生き方から離れようとする私たちの態度を意味します。それを隠して生きるというのは、神に背を向けている自分自身を偽ったり、着飾ったりして見えないようにすることであって、それは神に対してということもさることながら、むしろ人に対して行われることなのではないか。私は「背きを隠す者」という言葉からイメージを得ました。
神はすべてをご存知なわけだから、どんなに隠そうとも隠しようがないのです。しかし、人に対してだったら、ある程度ごまかしたり、欺いたりすることができるのかもしれません。神に(自然に)見せている自分自身と、人に見せている自分自身に乖離のあるところにこそ、今日の聖書の言葉が語ろうとしているエッセンスがあるのではないだろうか。そう思ったのです。
神に対する自分自身と、人に対する自分自身に裏表のない生き方。それこそ、神の御前にあって素直な自分自身を、人にもさらけ出せる正直さへとつながるのかもしれません。徴税人ザアカイがそうでした。彼は、今まで自分が神の願いに背を向けて生きてきた。しかし、これから後は、神の願いを受け入れる生き方をしたい。そのときに、ザアカイは素直な生き方をもって自分自身の再出発をすることができたのでした。
私もまた、こういう素直さをもって、神の願いというものを理解し、受け入れる者でありたいと願わされました。本日の黙想です。どうか、今日の一日もまた、主にあって健やかな時となりますように。お祈りいたします。
0 件のコメント:
コメントを投稿