02/03/2024

2024.3.2(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編13編2節
いつまでですか、主よ。
私をとこしえにお忘れになるのですか。
いつまで御顔を隠されるのですか。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書27章46節
イエスは大声で叫ばれた。「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
皆さん、おはようございます。
今週も最終日を迎えました。明日は主の日。どうぞ今日の一日が良き備えのときでありますように。自分自身を整えつつ、歩むことができるように、今日も御言葉に聴きたいと思います。
 
今日の旧約聖書はダビデによる神への訴え、そして新約聖書はイエスによる神への叫びの言葉です。あたかも神が私を見捨てられたかのように、ダビデもイエスも、必死な思いをもって神に訴えかけていることが読み取れます。
 
私はこんな叫びをしたことが最近あっただろうか。そんなことを想わされました。神が私を見捨てられるはずなどない。それが私のなかで繰り返し繰り返し、反芻するように言い聞かせている結果なのかもしれない。そう思ったりもします。
 
しかし、一方で、それで本当に良いのだろうかとも思ったりする自分自身があります。ときに真剣に、そして必死に、神にすがりつこうとする熱い思いというものを、私自身が抱えているだろうか。何かきれいに信仰というものをまとめ上げようとしている自分自身はないだろうかと思ったのです。
 
神を神とするからこそ、時には疑いにも似た思いというものを、神に正直にぶつける熱さをもって大切にしたい。大切なのは、その疑いを社会や周囲の人たちにぶつけ、訴えるのもさることながら、まずは私自身が、本当に神の御顔、その放たれる光というものに、真剣に対峙しているだろうか。そこから、神が私を守り給う御方であることを、自分の生き方として得ているだろうかということが、本日の黙想を通して得たことでした。
 
神を信頼するからこそ、神に自分自身をしっかりと向き合わせる一日でありたいと思います。皆さんの一日に、御顔を向けてくださる神の守りと平安がありますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿