22/03/2024

2024.3.22(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編102編26節
かつてあなたは地の基を据えられました。
天もあなたの手の業です。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コロサイの信徒への手紙一1章16節
天にあるものも地にあるものも
見えるものも見えないものも
万物は御子において造られたからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が思ったことは「見えないものは見えるものを通して知ることができる」ということでした。私たちにとって物を見るように神を直接見ることはできくても、見えるもののその姿を通して、神を「知る」ことはできるのだと。そのあたりを黙想したいと思いました。
 
私たちは「見る」ということと「知る」ということは、連動した営みであることをよく知っています。百聞は一見にしかずというとおり、私たちは見ることで物事に理解を深め、その内容を知ることができる。これは誰もが分かっていることだと思います。
 
しかし、この「見る」というのは、何も視覚というものだけを通して働いているわけでないことも、私たちは経験から理解していると思います。ある視覚障がい者の牧師がおられました。視力が失われても、ものすごい記憶力を持たれ、微細な部分に気を配られる、そのような方でした。まさに「心の視力」の豊かな持ち主でした。
 
実は私も、この一年のあいだに随分視力が悪くなってしまいました。いわゆる老眼が進んだという話なのですが、不便を感じるようになった分、これまであまり苦労してこなかった「見る」という作業に、より一層注意を傾けるようになった気がします。見るから「見つめる」という作業、「目を凝らす」という作業。どれもがとても大切なことなのだと、つくづく思わされています。
 
話は戻って、神はご自分に理解を深めるために、私たちにあらゆる物事を通して「見る」ということをお授けくださったのだと私は思います。自然界、人と人との関係、人の心。あらゆるものを見る、見つめる、目をこらすことによって、神の御業というものが見えてくるというのです。それが結果として、神の私たちに対する深い御愛というものを感じとるための力が与えられていくのだと、私は今日の聖句を通して受け止めたいと思いました。
 
今週も週日が終わろうとしています。一切に私たちに良いものを授けてくださる神の祝福と守りが豊かにありますように。お祈りいたします。

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