20/03/2024

2024.3.20(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編116編12節
主に何をお返ししようか
報いてくださったことすべてに応えて。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書17章12,15~16節
規定の病を患っている十人の中の一人は、自分が癒やされたのを知って、大声で神を崇めながら戻って来た。そして、イエスの足元にひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
皆さん、おはようございます。
暖かい春日がやって来たかと思えば、冬に戻ってしまったかのような寒い朝を迎えました。三寒四温とはよく言ったものです。こういう変動の激しい季節に体調が守られますように。お祈りいたします。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するテーマは「感謝」であると、私は受け止めました。そして、私はこう思いました。私は感謝を忘れてはいないだろうかと。
 
今日の新約聖書であるルカによる福音書が語る物語は、イエスによって規定の病(聖書協会共同訳で初めて登場した表現です。かつてはらい病・重い皮膚病・ツァラアトなどと訳されてきた、ある種の皮膚疾患のことを指しています)がいやされた10人のひとたちが、病から解放されたわけですが、そのうち、神をあがめてイエスへ感謝するために戻ってきたのは、当時ユダヤ人から忌避されていたサマリア人であった、というお話です。
 
ユダヤ人にとっては、自分は神から守られているという自意識がありますから、もしかしたら、病がいやされたことに感謝しつつも、いわゆる「当たり前感」というものがあって、サマリア人ほどの感動や感謝が薄かったのかもしれません。当たり前という感覚は、安定はしますが、少し鈍感になる傾向があるのかもしれません。
 
だからこそ、サマリア人のようなピュアな感覚というものが、聖書の言葉を通して、私たちにとっての素敵なエピソードになるのだと私は思います。当たり前であるがゆえに、感覚が鈍くなってしまうようなことから、少しでも解放されたいと心から思わされたわけです。
 
私たちが感謝を常に思いつつ、神に向き合えるような一日でありたいと願います。どうか皆さんの一日にも、主である神の祝福がありますように。

0 件のコメント:

コメントを投稿