創世記28章16~17節
ヤコブは眠りから覚め、そして怖くなって言った。
「この場所はなんと恐ろしい所だろう。ここはまさに神の家ではないか。ここは天の門だ。」
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙5章14節
明らかにされるものはみな、光だからです。それゆえ、こう言われています。
「眠っている者よ、起きよ。
死者の中から立ち上がれ。
そうすれば、キリストがあなたを照らされる。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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皆さん、おはようございます。
13年前の今日3月11日、東日本大震災が発生しました。数日前から震災を思い起こす報道があり、今日は東北の各地でもさまざまな企画がなされようとしています。私が属する日本基督教団東北教区でも、記念礼拝が執り行われます。この一日、今年被災された能登の方々のことも想いつつ過ごしてまいりたいと思います。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句から、私に与えられたのは「気づき」というものでした。人は大切なことに気づいたとき、そこから新しくされた日々が始まるということを、これらの御言葉は私たちに伝えているのだ。あらためてそのように思わされました。
故郷を追われ、行く先はすでに分かってはいるものの、気持ちのうえで不安にさらされ、恐れ、指針が定まらなかったヤコブ。孤独と思われていたヤコブに、決してあなたは孤独ではない。私がともにいて、あなたを導く。あなたを決して見捨てないと言われたのは、父なる神でした。
ヤコブは思いました。こんなに近くに神が一緒におられるのに、それに気づかなかった。いや、気づけなかった。そして、神が一緒にいてくださることに恐れおののきます。しかし、それは恐怖の念では麦畏怖の念でした。これからもさまざまな不安が私を襲うだろう。しかし、神がおられる。神が必ず人生の道筋を整えてくださる。こうして、ヤコブは歩みなおすことができたのだと、今日の御言葉から振り返ることができました。
神がともにおられるというのは、歩もうとしている道が決して暗闇のなかにないということです。神である主によって光が照らされていく。暗澹とした、死をも意識させるような環境のなかで、私たちに先立って起き、復活され、私たちの前に立たれた救い主イエスがおられるではないか。今日の新約聖書・エフェソの信徒への手紙の一節が伝えているメッセージです。
震災13年を迎え、14年目への新しいひと巡りがやって来る。この一年もまた、神がともにおられることの幸いというものを味わえることを、心から神に期待しつつ、その一日目を過ごしてまいりたいと思います。皆さんの一切に、主の守りと祝福をお祈りいたします。
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