09/01/2024

2024.1.9(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
サムエル記上2章10節
主は地の果てまで裁き
王に力を与えられます。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書1章29節
見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
一段と寒い朝を迎えた仙台です。ようやく冬らしい冬がやってきた感じもします。しかし、こういう時こそ体調を崩しやすい要素がいっぱいあるので、皆さんの健康が守られますように。お祈りいたします。
 
今日の旧約聖書は、のちにイスラエルの指導者として神によって立てられたサムエルの母ハンナの祈りです。長く夫エルカナとのあいだに子が授けられないなかで、ハンナはその願いが聞き入れられました。こうしてサムエルは誕生しました。そして、サムエルは祭司であるエリのもとに預けられ、こうしてサムエルは神に献げられた者となりました。
 
その時にハンナが祈った言葉が、今日の旧約聖書の聖句です。人間に生きる力を与えられるのは、主なる神その御方であることを、ハンナは告白します。ハンナは、今日示された祈りの言葉に先立って「人は力によって勝つのではありません」と、祈りの言葉を紡いでいます(9節)。
 
人間は何によって勝ちを得るのか。ハンナは神への深い祈りのなかで、子を授かるという経験をしました。自分でどんなに頑張っても与えられなかったことが、神によって実現した。そのときに、人間の限界というものを、彼女は実感したことでしょう。
 
私たちは自力ではどうすることもできないことが、いくらでもあります。武力や暴力を前にして、それを抑えきることのできない無力さ、自然災害に遭遇して、それを自力で防いだり抑制することはできない自分自身に、辛さや苦しみというものを抱えてしまいます。
 
そのようななかで、神が力を人間に与えてくださるというのはどういうことなのだろうか。神が人間の力ではどうしようもないことを、ご自身の力ですべて「無きものとする」というわけではありません。そうではなくて、神が私たち人間に、そのような辛苦のなかにあっても、生きる力を与えてくださる。それが時には慰めであったり、時には励ましという形で、あくまで神とともに歩もうと願う人たちに、ご自分がおられることを、私たちに明らかにしてくださる。これこそ「神の力」なのだと、私は受け止めたいのです。
 
世の罪を取り除く神の小羊。洗礼者ヨハネを前に、その小羊であるイエスが現れました。世の罪。それは、私たち人間の限界という言葉に置き換えることができるのかもしれません。この世界の惨禍というものを通して、私たちに限界を突き付けるのです。しかし、ハンナがそうであったように、そのような限界に対峙しつつも、力の源である神がともにいてくださることによる幸いを味わうために、神の小羊たるイエスが、洗礼者ヨハネのもとに、そして私たちのもとにやって来られたのだと。
 
今すぐ、すべての苦しみが無くなるわけではない。しかし、私たちとともにいてくださる神が、必ずや私たちに生きる力を与えてくださる。そんなことを望みつつ、今日の一日を過ごしてまいりたいと思いました。皆さんの一日にも、神が生きる力を充分に備えてくださいますように。お祈りいたします。

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