07/01/2024

2024.1.7(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
出エジプト記14章13節
恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
使徒言行録26章29節
言葉が少なかろうと多かろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
2024年最初の日曜日を迎えました。世界中の教会や集会で、主の日を喜ぶ礼拝のひとときが持たれることと思います。しかし、所には住む所を失い、命の危険にさらされ、不安ななかで夜を過ごされた方々がおられることを、忘れるわけにはいきません。私たちはまず、この方々のために、祈らなければならないこと。もし可能ならば、目に見える何かをしたいと心から願うばかりです。
 
さて、今日私たちに与えられたふたつの聖書の言葉にあるのは「不安のなかにあって」というテーマが付けられるものであったと、私は受け止めました。ひとつは、エジプト軍に追われて、命が奪われようとしているイスラエルの民たち。もうひとつは、ローマの法廷の前で証言をしている、囚われ人である使徒パウロです。そのいずれも、命の危険にさらされていたことに間違いありません。
 
そこで語られるモーセの言葉、また、パウロの言葉に、私たちは何を見ることができるのでしょうか。それぞれに経験した「主の御業をみる」ということにおいて、これからも主なる神は、必ず私たちのために生きて働いてくださるに違いないという、確信と希望が彼らの言葉ににじみ出ています。
 
私たちが不安のただなかにあって、なかなかそのような希望に立つことの難しさがあるということを、私たちはよく知っています。体力や気力に限界がありますから、いっときは忍耐することができても、それを持続することは、もはや精神力とか忍耐力の問題ではないと私は思います。こんなにへこたれたとしても、神はそんな私たちを励ましてくださるのだと。それが、神を知るということの強みなのかもしれません。勇ましく強くなることが素晴らしいのではなく、たとえ弱くても、いや、弱いからこそ、神に自分の思いを正直にさらけ出すことができるところにこそ、強みがあるのだと私は思います。なぜならば、私を前面に出せるからではなく、神を前面に出せるからです。
 
私たちは、神が必要あるところに適切な助けを、人を通して差し伸べてくださること。何よりも神御自身が、その人自身に親しく臨んでくださることを、執り成し祈る者であり続けたいと願います。今日の礼拝で、また、今日から始まる一週間の日々のなかで、そのことを心から祈ることができますように。自分自身のためにも、必要を与えてくださる神に望みを置いて、今日の一日が過ごせますように。お祈りいたします。

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