06/01/2024

2024.1.6(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編25編12節
主を畏れる人とは誰か。
主はその人に選ぶべき道を示す。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書2章12節
それから、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分の国へ帰って行った。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日1月6日は、顕現祭(公現日・栄光祭・エピファニー)として祝われ続けてきた日です。東方からやってきた博士集団が(三人とは聖書に書いておらず、黄金・没薬・乳香のささげ物から、いつの間にか三博士とか三賢人・三聖人と呼ばれるようになったわけです)、誕生したイエスを訪問し祝ったことに因んで、このような日が設けられるようになりました。
 
もちろん、博士たちが1月6日にイエスを訪ねたという記述は、聖書のどこにもありませんし、もっとも、本当に博士たちはイエスの誕生「直後」に訪問したのだろうかということも、はっきりしたことは分かりません。ヘロデ大王が、ベツレヘム周辺にいた2歳以下の子どもたちを皆殺ししたという聖書の記録から、実は博士たちの訪問は、イエスの誕生から2年後のことだったのではないだろうかと言われているくらいです。
 
このように、私たち博士たちの訪問をもって、クリスマスというイエスの誕生物語に締めくくるよう、信仰の先達たちによってつくりあげられてきた「クリスマスストーリー」に終わりを告げます。これらの編集が非聖書的であるという向きも耳にします。しかし、それでもそのような物語のなかで、私たちがイエスの誕生という出来事を通して、神がどのように私たち人間の救いに道を備えられたかということを知るためには、大変意義あることなのだと思わされるのです。
 
そういう意味では、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通する「道」という言葉は、まさに、私たちの人生に「救いの道」というものを敷設された神に、思いを寄せることの幸いというものを、感じずにはいられないのです。
 
クリスマス物語の最後を飾るのは、博士たちがイエスを訪ねた帰路の出来事です。彼らはヘロデ大王との約束を反故にします。イエスが生まれたことの報告をしませんでした。これによって、ヘロデ大王の不安は怒りへと変化し、とうとう子どもたちを大量殺戮するに至りました。クリスマスの喜びとは裏腹の、人間がもたらす無残さをもって、クリスマス物語は終了するのです。
 
そこで考えたいのです。博士たちは「お告げ通りに」ヘロデに謁見することを避けたわけですが、もし、彼らが王にまみえ、一部始終を報告していたらどうなっていただろうか。いずれにせよ、王の不安は怒りへと至ったことでしょう。報告してもしなくても、人の心をそう簡単に抑えることはできなかった。それがヘロデ大王の選んだ「道」だったのです。
 
そのような道は、多くの犠牲をもたらしました。しかし、神によって備えられた道を進もうとした博士たち、そして後にエジプトへ逃げることになるマリア・ヨセフに抱かれたイエスの親子は、クリスマスから始まる救済のストーリーをつくり上げていくのでした。
 
そして、それは本日の旧約聖書の言葉にもあるように、その救済のストーリーを提示されたのは、ご自分を畏れ敬う者たちに、生きるべき方向を示された神に他なりません。それは自分の不安を解消するために、大量虐殺に至るような残虐な行動をしてしまう人間の選ぶ道とは真逆の方向であったことが分かります。
 
そのような道に、私はクリスマスを祝い終わる者として、神に導かれつつ歩みたいと願わされます。今日の一日が、皆さんにとっても良き道を歩む時でありますように。お祈りいたします。

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